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	<title>LABORATORIO LINGUISTIC ITALIANO &#187; 感想文</title>
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		<title>「感染症対策」は本当に効いたのか。　Ian Miller &#8220;Unmasked&#8221;</title>
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		<pubDate>Tue, 08 Mar 2022 00:47:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[イタリア語ラボ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[感想文]]></category>

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		<description><![CDATA[今次「パンデミック」では世界中で様々な「対策」が推奨されました。マスク、手洗い、 &#8230; <a href="http://takinstitute.com/wp/?p=419">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>今次「パンデミック」では世界中で様々な「対策」が推奨されました。マスク、手洗い、３密の回避、自粛、ソーシャルディスタンスの確保、ロックダウン、ワクチンなどなどです。</p>
<p>私は２年前からイタリアをはじめ欧州各国や米国を観察していましたが、これらの対策がうまくいったような印象はもっておりません。感染抑制に資するというわりに、ちっともそういう様子はないのです。</p>
<p>私の印象はまんざら間違いでもなく、実際、これらの対策がどの程度有効であったのか、いまだにきっちりしたデータがあるようには聞きません。これは有効だという話が出ても、統計的な問題が指摘されるなどして、信頼性に欠ける話が多いのです。</p>
<p>その典型例がマスクです。マスクは感染症対策になると一般的には信じられており、その理由も説明されていますが、では現実世界ではどうだったかという検証となると、そこは極めて乏しい。</p>
<p>ここに取り上げるIan Miller による”Unmasked”という本は、専門家集団によって推奨された「対策」がことごとく失敗に終わったさまを、公表されている単純なグラフをもとに淡々と指摘しています。<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/1637583761/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_SF2Q8V3A0KXV5JEY6R7Z">https://www.amazon.co.jp/dp/1637583761/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_SF2Q8V3A0KXV5JEY6R7Z</a></p>
<p>アメリカの専門家たちはマスクを多数の人が付ければ数週間から数か月で制御可能になると言っていたわけですが、もちろん現実はそんなことにはなりませんでした。</p>
<p>またマスク義務を解除すると、専門家やメディア、政治家が決まって批判して、人殺し呼ばわりまでしていたのですが、陽性者数が急上昇するなんてことにはなりません。</p>
<p>アメリカでは各州ごとに対策が異なり、タイミングも違うので、おおざっぱな比較対象実験をやっていたようなものなのです。そのため、専門家の推奨する「対策」がすべて失敗だったことが非常に明瞭にわかるわけです。</p>
<p>詳細は本書に譲ります。専門家やメディアが繰り返してきた断言や脅迫は見事に外れています。</p>
<p>アジアや日本の話も出てきますが、ここでは一点だけ紹介しましょう。</p>
<p>新型コロナが登場して以降、インフルエンザが流行っていないのは、マスクや手洗いなどの「感染症対策の基本の徹底」のためだと言われています。</p>
<p>本当でしょうか。</p>
<p>著者はマスク着用率の低いスウェーデンと日本を比較しています。次のグラフを見てください。</p>
<p><a href="http://takinstitute.com/wp/wp-content/uploads/2022/02/https___bucketeer-e05bbc84-baa3-437e-9518-adb32be77984.s3.amazonaws.com_public_images_5ff882f6-f0e0-4cf6-bf5d-b96a0a615833_936x350.png"><img class="alignnone size-medium wp-image-429" alt="https___bucketeer-e05bbc84-baa3-437e-9518-adb32be77984.s3.amazonaws.com_public_images_5ff882f6-f0e0-4cf6-bf5d-b96a0a615833_936x350" src="http://takinstitute.com/wp/wp-content/uploads/2022/02/https___bucketeer-e05bbc84-baa3-437e-9518-adb32be77984.s3.amazonaws.com_public_images_5ff882f6-f0e0-4cf6-bf5d-b96a0a615833_936x350-300x112.png" width="300" height="112" /></a></p>
<p>日本のマスク着用率は常に１００パーセント近いですが、スウェーデンはせいぜい２０パーセントです。</p>
<p>そこで２０２０年から２０２１年にかけてのインフルエンザの流行は次の通りでした。</p>
<p><a href="http://takinstitute.com/wp/wp-content/uploads/2022/02/20220224_223009.jpg"><img class="alignnone size-medium wp-image-428" alt="20220224_223009" src="http://takinstitute.com/wp/wp-content/uploads/2022/02/20220224_223009-300x178.jpg" width="300" height="178" /></a></p>
<p>２０２０年春の流行が収まったあとは、スウェーデンも日本も、マスク着用率に関係なくインフルエンザは流行しなかった。これが事実です。</p>
<p>これはなぜなのか、というのは様々な議論があるはずで、のちの研究を俟つべきだと思いますが、事実はこの通りなのです。</p>
<p>新型コロナウイルスが現れる前までは、マスクは風邪やインフルエンザのウイルス対策としては無効であるというのが常識でした。この２年で話が変わったわけですが、実は以前の常識が正しかった、というのが素直な議論になるはずです。</p>
<p>・・・</p>
<p>重要なことは、本当に有効かどうかわからない、有効であるとしてもどの程度有効であるか、あるいはデメリットにどういうものがあるか、そしてそのメリットとデメリットのバランスはどうなのかという議論が一切なされていない、ということです。</p>
<p>このような極めて重要な議論を欠いたまま、欧米では様々な「対策」の義務化や強制が行われ、いまだにまともな反省はなされておりません。</p>
<p>私は、「致死率０．０１％になったから、『感染症対策の基本の徹底』をもうやめろ」と書きましたが、これは不正確だったと今にして思います。<br />
<a href="http://takinstitute.com/wp/?p=392">http://takinstitute.com/wp/?p=392</a></p>
<p>致死率が０．０１％だろうがなんだろうが、有効かどうかよくわからないものを社会一般に強制するのは全く間違っている、たとえ有効性が確認されるとしても、個人の自由の範囲は限りなく広く保証されるべきだ、であるならばなおさら、「感染症対策の基本の徹底」がさも有効であるかのように継続することは断じてやめよう、と言うべきでした。</p>
<p>個人個人で好きな「対策」をするのはかまいません。他方で、社会的に行う対策はそういうわけにはいきません。本来、その峻別をするべきなのです。</p>
<p>科学に従え！Follow the science! と何度も言われました。しかし、科学というのは、仮説をたて、現実を観察し、仮説を修正するのが科学です。</p>
<p>こうあるはずだという理論・仮説から出発し、現実が理論通りにいかなければ現実がおかしいと考えるのは、科学でも何でもありません。それは宗教です。</p>
<p>アメリカのメディアにしょっちゅう出ていた専門家のアンソニー・ファウチは、「ワクチン接種率が上がれば、これまでのような感染者数の上昇は見られなくなる」と言っていましたが、現実はそんなことにはなりませんでした。でも、修正も検証も一切されておらず、言いっぱなしのまま終わっています。</p>
<p>真に科学的な態度とは何か、欧米を反面教師とするべきだというのが私の結論です。</p>
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		</item>
		<item>
		<title>ジョルジョ・アガンベン「私たちはどこにいるのか？」</title>
		<link>http://takinstitute.com/wp/?p=367</link>
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		<pubDate>Sun, 13 Jun 2021 14:34:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[イタリア語ラボ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[感想文]]></category>

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		<description><![CDATA[前回は英国での反応を紹介しましたが、今回はイタリアの反応を見てみましょう。 今回 &#8230; <a href="http://takinstitute.com/wp/?p=367">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>前回は英国での反応を紹介しましたが、今回はイタリアの反応を見てみましょう。</p>
<p>今回取り上げるのは、ジョルジョ・アガンベン著「私たちはどこにいるのか？」です。<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4791773616/ref=cm_sw_r_tw_dp_5QJ7W9YAKMAE24BSNM6B">https://www.amazon.co.jp/dp/4791773616/ref=cm_sw_r_tw_dp_5QJ7W9YAKMAE24BSNM6B</a></p>
<p>アガンベンはイタリア思想界の大物で、イタリアを代表する思想家の一人です。新型コロナウィルス感染症への「対策」に対して当初から一貫して批判的でした。昨年２月からブログでその批判を書き続けています。本書は昨年７月までのブログ記事やインタビュー記事をまとめたものです。</p>
<p>一点だけ本書を補足する必要があると思ったのは、「緊急政令 Decreto-legge」という日本にはない法制度についてです。</p>
<p>Decreto-legge というのは、政府が官報で布告すれば直ちに法的効力を持つという制度です。緊急の措置が必要な場合に政府が柔軟な措置をとれるので便利な制度ですが、ただし６０日以内に議会が決議して正式な法律にする必要があります。</p>
<p>イタリア政府はパンデミックの当初からこの緊急政令を使っていましたが、実は緊急政令はパンデミック以前より頻繁に使われるようになっており、当然ながら批判も出ています。</p>
<p>以上が日本人向けの補足で、他はアガンベンの思想をよく知らなくても、十分に主張はくみ取れます。</p>
<p>まず非常に興味深かったのは、イタリアにおける死亡者数と死因についての指摘です。</p>
<p>アガンベンによれば、２０１７年にイタリアでは６４７，０００人死んでいますが、そのうち循環器系の疾患で２３０，０００人も死んでいるそうです。呼吸器系の疾患が死因となっている人は５３，０００人。</p>
<p>循環器系の病気で死んだ人が全死亡者のおおよそ３分の１を占めるわけですが、理由はおそらく明らかで肥満や食生活だろうと思われます。イタリア人にはとにかく肥満の人が多い。</p>
<p>ですので、この２３万人の死者を減らそうとするならば、イタリア人の食生活に直接介入すればよいのです。塩分は一日何グラム、脂肪分は、アルコールはこれだけ、少しでもそれを超過すれば罰金刑。</p>
<p>イタリアはクリスマスの宴会で有名です。家族親戚が集まって、揚げ物でいっぱいの食事を腹がはち切れるほどにたらふく食べるのが恒例行事となっています。</p>
<p>イタリア人にダイエットさせるために、クリスマスの宴会は禁止、もしこの規則を破れば多額の罰金！</p>
<p>・・・笑ってはいけません。今、イタリアのみならず、日本を含めた各国政府がこの一年半やってきたことは、こういうことでした。</p>
<p>保健衛生を第一に考え、「バイオセキュリティ」を最優先させると、クリスマスの宴会を禁止することは認められなくてはならないのです。</p>
<p>いや、それはおかしいと言われるかもしれません。循環器系の病気は人にうつさないが、新型コロナウィルスは感染症だから人にうつす、と。事実、昨年のイタリアでは、感染対策の一つとしてクリスマスのパーティーはできなかっただろうと思います。</p>
<p>（ちなみにですが、新型コロナウィルス感染症のリスクファクターの一つは肥満です。新型コロナウィルスの脅威を煽る専門家の中に肥満の先生がいるのは本当におかしなことです）</p>
<p>・・・</p>
<p>しかし問題はこれまで各国政府がとってきた一連の「対策」が本当に有効だったのかどうかよく分からない点に尽きます。つまり、従前と同じように生活しても大して状況は変わらなかった可能性が少なからずある。</p>
<p>むしろロックダウンやマスクの罰金付き義務化などの極めて強力な「対策」をやればやるほど、社会的・経済的ダメージのみならず、精神的・身体的なダメージを生み出す結果になっており、「命を救うため」として導入された一連の「対策」が本当に命を救っているのかどうかを、本来であればかなり慎重に検討しなければなりません。</p>
<p>しかし実際には、前回も書いたように、一連の「対策」のメリット・デメリット、コスト＆ベネフィットを公平に比較考量したものを各国政府とも公式には出していない。</p>
<p>そうすると、残るのは緊急政令によって政府に与えられた強力な権限だけです。緊急事態だからと言って導入された、その根拠が問われることになります。</p>
<p>この状態を本当に是認できるのかどうかを、アガンベンは執拗に問うています。</p>
<p>アガンベンによれば、イタリアのある法学者は、政府による一連の「対策」の違憲性を否定して、あくまでも普通の生活に戻るための一時的な措置であり、永続的に強権的な政府を存続させるものではないので問題はないと論じているそうです。</p>
<p>もちろん、この法学者の主張は単なる屁理屈です。普通の生活に戻るための一時的な措置だから違憲ではないという主張が正しいならば、政治家は「これはあくまでも元の生活に戻るための措置なので今だけ我慢してください」とさえ言えばなんでもできることになってしまいます。</p>
<p>・・・</p>
<p>人の命を守るためと称して、医療サイドが政府と協力してここまで人々の日常生活に介入することは一昨年前まで想像すらされませんでした。</p>
<p>歯を磨いて口の中の環境を整えておくことは、感染症予防にもいいことですが、歯磨きの罰則付き義務化なんて今でさえ聞いたことがありません。</p>
<p>でも、義務化しなくて当たり前なのです。自分の健康は自分で管理するもので、それ以上、他人に強制されるものではないからです。その「当たり前」が忘れ去られつつあることに対する危機感がもっと持たれるべきではないでしょうか。</p>
<p>ちなみに、日本の死因別死者数を見ると、２０１９年、腫瘍で３７６，０００人、高血圧性を除く心疾患で２０７，０００人、脳血管疾患で１０６，０００人、肺炎で９５，０００人の人が亡くなっています。</p>
<p>他方で新型コロナウィルス感染症ではこの一年半の間におおよそ１万４千人程度亡くなったことになっています。さらに、この疾病で亡くなった人のうち４割は重い病気をすでに抱えている人であって「最後の一滴」がたまたまコロナだったにすぎないという話もあります。</p>
<p>「対策」の有効性が不明であることを考えると、いかに不毛なことをこの一年半やってきたのかと言わざるをえません。</p>
<p>・・・</p>
<p>他方、アガンベンのような西洋を代表する知識人が「対策」に批判的な立場をとっていることに希望を感じます。</p>
<p>昨年来、私たちが見てきたものは西洋の傲慢さでした。体の大きな子供がわんわんと泣き喚いて周囲を振り回しているようにしか見えませんでした。</p>
<p>しかも、この体の大きな子供は、すぐに他人をバカにするのです。たとえば日本に対する根拠のない、偏見に満ちた「批判」は単なる人種差別の発露でしかありませんでした。</p>
<p>西洋には知性が死んでしまったか、あるいは最初からそんなものはなかったのだろうと私は絶望していました。しかしアガンベンの本書に触れ、かすかな希望を感じる思いをしています。</p>
<p>しかし、この希望は決して力強いものではありません。愚かな混乱はまだまだ続いているからです。</p>
<p>この一年半、「科学」が錦の御旗としてかなり恣意的に利用されてきましたが、この混乱を止めるのは、科学の力ではありません。むしろ、科学そのものが事態を無駄に混乱させてきたとすら言えます。</p>
<p>その象徴の一つが無駄な検査でしょう。前回も書いたように、隔離に意味が薄いことは最初から分かっていたことで、無症状感染者をわざわざ見つけ出してきて隔離することは全くの不毛でしたが、それも科学技術の裏付けがないとこんな無駄なことはできませんでした。</p>
<p>また愚かしいことに、今、米国や英国では検査基準を変更し、陽性者が少なくなるようにし始めています。</p>
<p>検査の問題は、「科学の力」に過剰に依存するとこういうことになる、という典型です。</p>
<p>科学という人間の力では、自然に勝てないのです。</p>
<p>そのことを、欧州の知識人も分かっている、少なくともアガンベンはよく分かっている。本書を読んで、少しばかり、私も力を得たような気がしました。</p>
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		<item>
		<title>Laura Dodsworth &#8220;A State of Fear&#8221;</title>
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		<pubDate>Sat, 05 Jun 2021 16:28:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[イタリア語ラボ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[感想文]]></category>

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		<description><![CDATA[欧米は被害が大きかったからロックダウンも仕方がなかったと軽々に信じている人は、こ &#8230; <a href="http://takinstitute.com/wp/?p=358">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>欧米は被害が大きかったからロックダウンも仕方がなかったと軽々に信じている人は、このイギリス・アマゾン欧州政治部門で１位のベストセラーとなっている同書を読んだ方がよい。<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/1780667205/ref=cm_sw_r_tw_dp_16FP31B6WYYMKXJ2S231">https://www.amazon.co.jp/dp/1780667205/ref=cm_sw_r_tw_dp_16FP31B6WYYMKXJ2S231</a></p>
<p>英国は日本とは比べ物にならない厳格さでロックダウンを実施したが、市民に規則を守らせるために、行動心理学を駆使して恐怖を利用した様々な政策を行った、そこに倫理的な問題はないのかと問うている。</p>
<p>著者はジャーナリストであって専門家ではない。それにことの性質上、匿名情報が多く、その分、主張に強さを欠く場面がある。（もっとも、英国政府内部にも相当の不満があり、このような形で内部の情報がリークされたという可能性はあると思う）</p>
<p>また、英国政府が心理学者の提言をどのように具体的に政策に反映させたのか、またその政策がどのような影響を社会に与えたかを検討することは非常に難しい課題であり、この本ではそれは無理な要求だ。</p>
<p>しかし著者は限界について自覚しており、同書はあくまでも倫理の問題を問うものであって、今後の調査のスタート地点であって欲しいと書いている。執筆態度は一貫して真摯かつ良心的だ。</p>
<p>詳しい議論は読んでもらう他ないが、少しだけ書かせてもらいたい。</p>
<p>まず、英国で新型コロナウィルス感染症が死因になった人の平均年齢は82.3歳であり、平均寿命より1歳上なんだそうだ。また感染が多く発生しているのは、病院や高齢者施設などで、日本と大きく変わらない。</p>
<p>にもかかわらず、民主主義国として限界を越えるレベルにまで社会活動を規制した。疾病のリスクととられた対策のバランス、メリットとデメリット、コストとベネフィットの検討をすれば、コスト・デメリットの方が大きすぎることは明らかだ（実際、正直な調査検討をいまだ公表していないらしい）。</p>
<p>この過大な社会規制は「より大きな善」によって正当化されたわけだが、社会規制に人々を確実に従わせ規制に実効性を与えるために、政府は新型コロナウィルス感染症本来のリスク以上の恐怖心を人々に吹き込み、行動心理学を利用することで人々の行動を変容させようとした。</p>
<p>このようにして、国民の間で議論も合意もないまま、十分な説明もなされず、透明性が欠如した形で、国民は政府の指示通りに行動するようにさせられてしまうこととなった。</p>
<p>つまり、著者が指摘しているのは一種の洗脳の問題だと言ってもよい。</p>
<p>このような形で心理学を利用することに倫理的な問題は当然発生しうる。政府のアドバイザーである心理学者も倫理的問題の存在を否定していない。</p>
<p>しかも、メディアやネットなどを総動員した政府によるプロパガンダによって、人々の間に恐怖心が過度に浸透してしまい、抜けることが非常に難しくなってしまった。心理学者たち自身がリスクを過大に見積もっていたのだから、始末に負えない。</p>
<p>もっとも、このような非常に無理のある政策が本当に「より大きな善」のために有効であればまだしも、実際のところは大きな疑問符を付けざるを得ない。</p>
<p>ロックダウンなどの「感染症対策」が有効であったというエビデンスはなく、むしろ身体的・精神的・社会的・経済的なダメージは明確かつ図り知れないため、「より大きな善」のためという建前そのものが崩壊しているのが現実である。</p>
<p>実は２０１９年にWHOが報告した、インフルエンザのパンデミックを想定したレポートによると、休校や旅行規制、いわゆる「水際対策」、隔離などなど、当たり前のように考えられている「感染症対策」はエビデンスが非常に弱いとされていたうえ、ロックダウンのような破壊的な対策は想定されていなかった。</p>
<p>つまり、みな最初から分かっていたのだ。</p>
<p>パンデミックは以前より懸念されていたリスクであったため、英国保健省内部でも事前に対策案は練られていたものの、引き継ぎが十分に行われないまま忘れられていたり、また専門家の会議も同じ意見の人だけが集まり、異なる意見の人は排除する傾向にあるとのことで、笑えない現実が次々と指摘されていく。</p>
<p>救いはこういった政策に対する批判が英国にもあることで、最高裁判所の元判事が言うべきことを言っているそうだ。</p>
<p>つまり、被害の大きさは必ずしも対策の強度を正当化しない、「ロックダウンも仕方がなかった」という話にはなりえないのである。</p>
<p>著者は最後に、今後どういう社会に生きたいか、価値や理念をもっと考えないといけないと言っている。その通りだと思う。</p>
<p>私の健康は私の問題であり、それが他人を守ることにつながる。もし他人に病気をうつして、その人が亡くなっても、それは仕方がない。そもそも新型コロナはその程度の病気であり、その程度のリスクしかないとも言える。一昨年までは、人に何をうつそうが何も意識せず私たちは生きてきた。誰かに管理され、あるいは心理学的手法を使って選択を強制されるような形で生きるのは、私はまっぴら御免蒙りたい。</p>
<p>今後、デジタル化が高度に進むにつれ、自由やプライバシーの領域がますます狭くなると言われている。であるならばなおのこと、自由とは何か、自分で自分のことを決めるとは、選択するとは何かを考え直し、ここで抵抗することが肝要だろう。</p>
<p>これからどのような経過をたどるのか、私にはよく分からないが、ロックダウンを筆頭に、その他多くの「感染症対策」は全く無意味か、むしろ副作用が大きすぎたことはこの一年半の経緯から明らかと言ってよい。</p>
<p>同じ失敗を二度と繰り返さないために、本当のこと（“truth”）を直視することが必要だろう。</p>
<p>このような内容の書籍なので、日本語に翻訳される可能性は薄いと思うが、読みやすい英語で書かれている。私には教えられるところがたくさんあった。恐怖にかられている人にも、呆れて醒めている人にも読んでもらいたい良書だ。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>草森紳一『随筆　本が崩れる』（中公文庫）</title>
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		<comments>http://takinstitute.com/wp/?p=153#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 21 Sep 2019 23:49:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[イタリア語ラボ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[感想文]]></category>

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		<description><![CDATA[草森紳一さんとは、縁あって親しく会話をする機会が何度かありました。東京駅の近くの &#8230; <a href="http://takinstitute.com/wp/?p=153">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>草森紳一さんとは、縁あって親しく会話をする機会が何度かありました。東京駅の近くの飲み屋でお酒をおごってもらったこともいい思い出です。</p>
<p>私は草森紳一の良い読者ではありませんが、これだけは読んでいました。 懐かしくなって、新しく収録された随筆のためにまた買って読みました。</p>
<p>草森さんとは何回か電話をしていますが、亡くなる２か月前にも私が電話をして、長い無駄話をしています。</p>
<p>その時の会話はここには書きませんが、草森さんの死後になってむしろ死人に口なしをいいことに、という話が流布しており、これは草森さんが生きていたら一体どう思うんだろうか、ということがままあります。</p>
<p>草森さんとの何回かの電話のなかで、一つ今でもよく覚えているのは、</p>
<p>「時間は魔法だよ、時間がたつとすべてを流してくれるもんだよ」</p>
<p>という言葉です。</p>
<p>『そりゃねえ、草森さんみたいな人はそれでいいけれど、私みたいな世俗の垢にも欲にもまみれた人間はそういう達観はできないですよ』</p>
<p>と答えたように思いますが、そういう人だったので、草森さんからすると、死んだ後のことまでわしゃ知らんわい、というところでしょう。</p>
<p>・・・</p>
<p>草森紳一というと、大量の本に囲まれた脱俗の奇人というイメージがもたれているようで、かつ晩年のあの風貌が仙人っぽさを余計に醸し出していました。</p>
<p>私はそういう草森紳一理解は非常に一面的ではないかと思っています。その根拠になりそうなフレーズが「本が崩れる」の中にもあり、たとえば、</p>
<blockquote><p>「世間」とやらに背を向けて生きてきたので（実際は甘えて、曖昧を極めながら生きてきたので）（p.17）</p></blockquote>
<blockquote><p>お前は、豚か（豚に悪いが）と思う。そうだ、豚だと自分で答える。お前はマンガか（マンガは大好きだが）と問えば、そうだ、マンガだというこだまが、かえってくる。お前はゴミか、もちろんと答える。お前は、人間のクズか。もとより大クズだ。これは、胸を張って、言い切れる。 （p.29）</p></blockquote>
<p>私は、なぜ草森さんがこういうことを書くのか、よく知っています。草森さんが亡くなってから出てきた話の中に、その「クズ」っぷりがよく知れるものがあり、たぶんそのあたりのことを言っているのだろうという察しはだいたいついています。</p>
<p>ただ、自分は「豚」だの「人間の屑」だのと本当に思っている人が、読者に先回りして、先手を打ってこんなことを書くわけがないだろう、とは思います。かっこ付きで「本当は世間に甘えて、曖昧に生きているのは分かってるんですよ」とアピールする必要性が分からない。あまりにも言い訳がましくて、見苦しい。</p>
<p>一言で言えば、こずるいし、セコい、としか言いようがない。</p>
<p>草森紳一のこのセコさは、文章や生活と密接につながっているはずで、一見「脱俗の仙人」のようなポーズは、実際のところは単にそっくり返って開き直っているだけの度し難さと表裏一体だったのではないかと私は思っています。</p>
<p>・・・</p>
<p>では私は草森紳一が人間として嫌いかというと、幸か不幸か、嫌いになるほどの付き合いはありませんでした。</p>
<p>ただ、私にとっては妙な会話ができる存在で、</p>
<p>「荘子はいいよ。あれを読むと、心がすっきりするでしょ」</p>
<p>という言葉が草森さんの口から出てくるのを聞いて面白がっていました。</p>
<p>脱俗を装った度し難い開き直りも、私には分かるような部分もあり、かつ、あれで結構、本人なりの限界まで俗世間に頑張って付き合ってもくれたことを私は知っています。間違いなく仕事の邪魔になったはずで、死去の報が流れたときには、随分迷惑をかけてしまった、本当はもっと書きたいものがあったろうにと、申し訳ない気分になって落ち込んだことを覚えています。</p>
<p>思い返すと、草森紳一には、表向きのポーズの、もう一段奥があって、そこはもっと男らしい人だったような気がしています。なので、なんであんな料簡の狭いことを書くのか、私にはよく分かりません。</p>
<p>『そんなセコいことを書かずに、もっと素直に自分を出せばよかったんじゃないの。ねぇ、草森さん』</p>
<p>今の私だったら、草森さんにそう言ってみたいです。</p>
<p>・・・</p>
<p>現在、草森紳一の何万冊とも知れない蔵書が保管されているそうです。「時間は魔法だよ」と言っていた草森さんが、本当にそんなことを望んだのかどうか、正直言って疑問です。</p>
<p>よほどの稀覯本はしかるべき研究者や施設へ寄贈、他は古本屋にすべて売り払うなど処分して、きれいさっぱりしてしまうという道の方が、よっぽど草森さんらしい、少なくとも私にとっての草森さんらしい道のように思います。</p>
<p>私にとっての草森さんはそういう人だったのですが、そのような理解が世間ではなされてなさそうであることが、大いに口惜しいですね。</p>
<p>それも、草森さんなら、「死んだ者が強いんだよ、死んだら勝ちだよ」と高笑いして、生きている者のことなぞ、断然無視することでしょう。「時間は魔法」ですから、何百年もたてば今生きている者の些細な出来事など、きれいさっぱり流されてなくなってしまいます。</p>
<p>もっとも、そういう態度は、普通だったら無責任の極みなのですが、草森紳一に限っては無責任だと言い切れないものがあって、そこに慕わしく感じさせる何かがあったのでしょう。</p>
<p>私にとって、草森紳一とはそういう人でした。</p>
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		<title>村上信一郎『ベルルスコーニの時代　崩れ行くイタリア政治』（岩波新書）　</title>
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		<pubDate>Thu, 12 Sep 2019 13:59:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[イタリア語ラボ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[感想文]]></category>

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		<description><![CDATA[私がイタリアに興味を持ったきっかけの一つは、シルヴィオ・ベルルスコーニです。 ２ &#8230; <a href="http://takinstitute.com/wp/?p=149">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<div>
<p>私がイタリアに興味を持ったきっかけの一つは、シルヴィオ・ベルルスコーニです。</p>
</div>
<p>２００１年ごろだったか、たぶんThe Economist に出たベルルスコーニ批判のうちのどれかを読んだように思います。ただ、当時イタリアに全く無関心だった私は、「まあ、イタリア人はいい加減だから」で終わってしまいました。</p>
<p>初めてイタリアを一人で旅行した大学生の時、イタリアに対する印象が良くなくて、「こんな国に二度と来るものか」と思っていたのです。。。実際は、一生の縁になってしまうわけですが。</p>
<p>その後、紆余曲折あってイタリアと関わるようになり、「これだけ批判されているベルルスコーニが、なぜ何度も政権をとり、２０年もイタリア政界を牛耳ってきたのだろう」という素朴な疑問をずっと抱えていました。</p>
<p>イタリア語で新聞や書籍を読むようになって、分からないながら、ベルルスコーニを理解するための背景を求めていきました。彼を理解するには、少なくともファシズム時代までさかのぼる必要があるように思います。</p>
<p>・・・</p>
<p>村上信一郎先生の「ベルルスコーニの時代」は、１９４８年生まれの著者から見た同時代史としてイタリアを描いたものです。サピエンツァ大学でアルド・モーロの講義を聞いたことがある著者の記述は、読みやすいうえに生き生きとしており、生のイタリアを直接感じ取れるようになっています。</p>
<p>とりわけ日本では、イタリアの戦後史を一般向けに説明した書籍は得難く、的確・コンパクトに、かつアカデミックな成果にこだわらず幅広く情報を入れ込んだ新書として、優れているように思います。</p>
<p>それだけに非常に濃密で、それが長所でもあり、あるいは短所かもしれません。日本の読者は、イタリア現代史に全く無縁な人が多いはずなのに、前提知識が相当に求められるからです。</p>
<p>ただそれでも、少なくとも私にとっては非常に勉強になり、頭の整理にもなりました。</p>
<p>・・・</p>
<p>ただ、こういうところも聞いてみたかったという点がいくつかあり、たとえばプローディ内閣の崩壊からダレーマ内閣の成立の背景についてがその一つ。</p>
<p>１９９８年にプローディ内閣は議会から不信任を受け総辞職します。この背景に、当時切迫しつつあったセルビア情勢があったようです。NATO軍に全面的に協力することにやや距離を置いていたプローディよりも、米国と非常に融和的でイタリア共産党出身ゆえに平和主義者を抑え込みやすいと見込まれたダレーマを立てたのは、同じ年に中道右派勢力の共和国民主連合を結成した元大統領フランチェスコ・コッシーガの画策による、と言われており、このあたりはどうなるのか、個人的には興味津々です。</p>
<p>イタリア政治は国内環境にのみ規定されるのではなく、国際環境にも大きく左右されてきました。イタリアの面白さ、です。</p>
<p>・・・</p>
<p>もう一つは、ベルルスコーニの評価の問題で、マフィアとの癒着・脱税・国家の私物化などなどについて、著者は具体的事実をあげて手厳しく批判しています。</p>
<p>これ自体はもっともだと私も思いますが、ベルルスコーニの存在は何かもっと根深いものの表れではないかという印象を持っています。それは、イタリア半島に固有のなにかかもしれないとも思いますが、その点、あとがきで</p>
<blockquote><p>この現象にはイタリアの歴史や政治の特殊性に還元できない普遍性がある</p></blockquote>
<p>とする著者の直感とはやや異なります。</p>
<p>もちろん、ドナルド・トランプの登場（米国の大統領選挙の際に、イタリアのベルルスコーニと頻繁に比較されたことは記憶に新しい）、日本の政治状況などなどを見ても、むしろ著者の直感ももっともで、それは私も同感です。</p>
<p>それでも、ベルルスコーニが政界に登場したのは１９９４年、長期政権を担ったのは２００１年からと、かなり以前のことであり、近年の政治状況とは文脈が異なります。そこになにかイタリア固有のもの、イタリア半島が背負っているものの重さを、私などは感じます。</p>
<p>たとえば、企業家としてのベルルスコーニの歩み、脱税やマフィアとの癒着、また政治家としては公権力の私物化等々といった、ベルルスコーニに向けられるイタリア人の批判そのものは、むしろイタリア人自身に返ってくることはないでしょうか。ベルルスコーニだけが責められるようには思いません。</p>
<p>・・・</p>
<p>本書では、イタリア戦後史を最初から語り起こしており、また各登場人物について出身地や背景を新書としては細かく描くことで、「なぜそうなのか」を説明しています。</p>
<p>これがイタリアの複雑さと面白さを伝えて余すところがありません。と同時にそれだけシルビオ・ベルルスコーニの存在がいかに巨大かを、一層感じます。</p>
<p>８０歳を超えたベルルスコーニは矍鑠としていますが、年齢による衰えは隠しきれず、また自らが率いるフォルツァ・イタリアはかつての栄光は見る影もなく、今やほぼ弱小政党となってしまっています。</p>
<p>それでも、もう一勝負するのか、それとも終幕に向けてどのように動くのか。これからどういう展開になるのか、私には全く想像もつきません。</p>
<p>・・・</p>
<p>最後に、つい先日、私の知人であるイタリア議会の元議員秘書が、ベルルスコーニに面談した時の印象を話してくれたので、それを書いておきましょう。</p>
<p>面談するまで、ベルルスコーニに全く批判的だった彼は、面談した後に評価を完全に変えたんだそうです。</p>
<p>「脱税？OK。利益背反？分かりました。スキャンダル？ごもっとも。でも彼はいいこともした。たとえば。。。」</p>
<p>このあたりが、ベルルスコーニの秘密なんでしょう。私が、ベルルスコーニはイタリアの何事かを象徴していると感じることと通じるものがあるように思います。</p>
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