ジョルジョ・アガンベン「私たちはどこにいるのか?」

前回は英国での反応を紹介しましたが、今回はイタリアの反応を見てみましょう。

今回取り上げるのは、ジョルジョ・アガンベン著「私たちはどこにいるのか?」です。https://www.amazon.co.jp/dp/4791773616/ref=cm_sw_r_tw_dp_5QJ7W9YAKMAE24BSNM6B

アガンベンはイタリア思想界の大物で、イタリアを代表する思想家の一人です。新型コロナウィルス感染症への「対策」に対して当初から一貫して批判的でした。昨年2月からブログでその批判を書き続けています。本書は昨年7月までのブログ記事やインタビュー記事をまとめたものです。

一点だけ本書を補足する必要があると思ったのは、「緊急政令 Decreto-legge」という日本にはない法制度についてです。

Decreto-legge というのは、政府が官報で布告すれば直ちに法的効力を持つという制度です。緊急の措置が必要な場合に政府が柔軟な措置をとれるので便利な制度ですが、ただし60日以内に議会が決議して正式な法律にする必要があります。

イタリア政府はパンデミックの当初からこの緊急政令を使っていましたが、実は緊急政令はパンデミック以前より頻繁に使われるようになっており、当然ながら批判も出ています。

以上が日本人向けの補足で、他はアガンベンの思想をよく知らなくても、十分に主張はくみ取れます。

まず非常に興味深かったのは、イタリアにおける死亡者数と死因についての指摘です。

アガンベンによれば、2017年にイタリアでは647,000人死んでいますが、そのうち循環器系の疾患で230,000人も死んでいるそうです。呼吸器系の疾患が死因となっている人は53,000人。

循環器系の病気で死んだ人が全死亡者のおおよそ3分の1を占めるわけですが、理由はおそらく明らかで肥満や食生活だろうと思われます。イタリア人にはとにかく肥満の人が多い。

ですので、この23万人の死者を減らそうとするならば、イタリア人の食生活に直接介入すればよいのです。塩分は一日何グラム、脂肪分は、アルコールはこれだけ、少しでもそれを超過すれば罰金刑。

イタリアはクリスマスの宴会で有名です。家族親戚が集まって、揚げ物でいっぱいの食事を腹がはち切れるほどにたらふく食べるのが恒例行事となっています。

イタリア人にダイエットさせるために、クリスマスの宴会は禁止、もしこの規則を破れば多額の罰金!

・・・笑ってはいけません。今、イタリアのみならず、日本を含めた各国政府がこの一年半やってきたことは、こういうことでした。

保健衛生を第一に考え、「バイオセキュリティ」を最優先させると、クリスマスの宴会を禁止することは認められなくてはならないのです。

いや、それはおかしいと言われるかもしれません。循環器系の病気は人にうつさないが、新型コロナウィルスは感染症だから人にうつす、と。事実、昨年のイタリアでは、感染対策の一つとしてクリスマスのパーティーはできなかっただろうと思います。

(ちなみにですが、新型コロナウィルス感染症のリスクファクターの一つは肥満です。新型コロナウィルスの脅威を煽る専門家の中に肥満の先生がいるのは本当におかしなことです)

・・・

しかし問題はこれまで各国政府がとってきた一連の「対策」が本当に有効だったのかどうかよく分からない点に尽きます。つまり、従前と同じように生活しても大して状況は変わらなかった可能性が少なからずある。

むしろロックダウンやマスクの罰金付き義務化などの極めて強力な「対策」をやればやるほど、社会的・経済的ダメージのみならず、精神的・身体的なダメージを生み出す結果になっており、「命を救うため」として導入された一連の「対策」が本当に命を救っているのかどうかを、本来であればかなり慎重に検討しなければなりません。

しかし実際には、前回も書いたように、一連の「対策」のメリット・デメリット、コスト&ベネフィットを公平に比較考量したものを各国政府とも公式には出していない。

そうすると、残るのは緊急政令によって政府に与えられた強力な権限だけです。緊急事態だからと言って導入された、その根拠が問われることになります。

この状態を本当に是認できるのかどうかを、アガンベンは執拗に問うています。

アガンベンによれば、イタリアのある法学者は、政府による一連の「対策」の違憲性を否定して、あくまでも普通の生活に戻るための一時的な措置であり、永続的に強権的な政府を存続させるものではないので問題はないと論じているそうです。

もちろん、この法学者の主張は単なる屁理屈です。普通の生活に戻るための一時的な措置だから違憲ではないという主張が正しいならば、政治家は「これはあくまでも元の生活に戻るための措置なので今だけ我慢してください」とさえ言えばなんでもできることになってしまいます。

・・・

人の命を守るためと称して、医療サイドが政府と協力してここまで人々の日常生活に介入することは一昨年前まで想像すらされませんでした。

歯を磨いて口の中の環境を整えておくことは、感染症予防にもいいことですが、歯磨きの罰則付き義務化なんて今でさえ聞いたことがありません。

でも、義務化しなくて当たり前なのです。自分の健康は自分で管理するもので、それ以上、他人に強制されるものではないからです。その「当たり前」が忘れ去られつつあることに対する危機感がもっと持たれるべきではないでしょうか。

ちなみに、日本の死因別死者数を見ると、2019年、腫瘍で376,000人、高血圧性を除く心疾患で207,000人、脳血管疾患で106,000人、肺炎で95,000人の人が亡くなっています。

他方で新型コロナウィルス感染症ではこの一年半の間におおよそ1万4千人程度亡くなったことになっています。さらに、この疾病で亡くなった人のうち4割は重い病気をすでに抱えている人であって「最後の一滴」がたまたまコロナだったにすぎないという話もあります。

「対策」の有効性が不明であることを考えると、いかに不毛なことをこの一年半やってきたのかと言わざるをえません。

・・・

他方、アガンベンのような西洋を代表する知識人が「対策」に批判的な立場をとっていることに希望を感じます。

昨年来、私たちが見てきたものは西洋の傲慢さでした。体の大きな子供がわんわんと泣き喚いて周囲を振り回しているようにしか見えませんでした。

しかも、この体の大きな子供は、すぐに他人をバカにするのです。たとえば日本に対する根拠のない、偏見に満ちた「批判」は単なる人種差別の発露でしかありませんでした。

西洋には知性が死んでしまったか、あるいは最初からそんなものはなかったのだろうと私は絶望していました。しかしアガンベンの本書に触れ、かすかな希望を感じる思いをしています。

しかし、この希望は決して力強いものではありません。愚かな混乱はまだまだ続いているからです。

この一年半、「科学」が錦の御旗としてかなり恣意的に利用されてきましたが、この混乱を止めるのは、科学の力ではありません。むしろ、科学そのものが事態を無駄に混乱させてきたとすら言えます。

その象徴の一つが無駄な検査でしょう。前回も書いたように、隔離に意味が薄いことは最初から分かっていたことで、無症状感染者をわざわざ見つけ出してきて隔離することは全くの不毛でしたが、それも科学技術の裏付けがないとこんな無駄なことはできませんでした。

また愚かしいことに、今、米国や英国では検査基準を変更し、陽性者が少なくなるようにし始めています。

検査の問題は、「科学の力」に過剰に依存するとこういうことになる、という典型です。

科学という人間の力では、自然に勝てないのです。

そのことを、欧州の知識人も分かっている、少なくともアガンベンはよく分かっている。本書を読んで、少しばかり、私も力を得たような気がしました。

カテゴリー: 感想文   パーマリンク

コメントは受け付けていません。