Laura Dodsworth “A State of Fear”

欧米は被害が大きかったからロックダウンも仕方がなかったと軽々に信じている人は、このイギリス・アマゾン欧州政治部門で1位のベストセラーとなっている同書を読んだ方がよい。https://www.amazon.co.jp/dp/1780667205/ref=cm_sw_r_tw_dp_16FP31B6WYYMKXJ2S231

英国は日本とは比べ物にならない厳格さでロックダウンを実施したが、市民に規則を守らせるために、行動心理学を駆使して恐怖を利用した様々な政策を行った、そこに倫理的な問題はないのかと問うている。

著者はジャーナリストであって専門家ではない。それにことの性質上、匿名情報が多く、その分、主張に強さを欠く場面がある。(もっとも、英国政府内部にも相当の不満があり、このような形で内部の情報がリークされたという可能性はあると思う)

また、英国政府が心理学者の提言をどのように具体的に政策に反映させたのか、またその政策がどのような影響を社会に与えたかを検討することは非常に難しい課題であり、この本ではそれは無理な要求だ。

しかし著者は限界について自覚しており、同書はあくまでも倫理の問題を問うものであって、今後の調査のスタート地点であって欲しいと書いている。執筆態度は一貫して真摯かつ良心的だ。

詳しい議論は読んでもらう他ないが、少しだけ書かせてもらいたい。

まず、英国で新型コロナウィルス感染症が死因になった人の平均年齢は82.3歳であり、平均寿命より1歳上なんだそうだ。また感染が多く発生しているのは、病院や高齢者施設などで、日本と大きく変わらない。

にもかかわらず、民主主義国として限界を越えるレベルにまで社会活動を規制した。疾病のリスクととられた対策のバランス、メリットとデメリット、コストとベネフィットの検討をすれば、コスト・デメリットの方が大きすぎることは明らかだ(実際、正直な調査検討をいまだ公表していないらしい)。

この過大な社会規制は「より大きな善」によって正当化されたわけだが、社会規制に人々を確実に従わせ規制に実効性を与えるために、政府は新型コロナウィルス感染症本来のリスク以上の恐怖心を人々に吹き込み、行動心理学を利用することで人々の行動を変容させようとした。

このようにして、国民の間で議論も合意もないまま、十分な説明もなされず、透明性が欠如した形で、国民は政府の指示通りに行動するようにさせられてしまうこととなった。

つまり、著者が指摘しているのは一種の洗脳の問題だと言ってもよい。

このような形で心理学を利用することに倫理的な問題は当然発生しうる。政府のアドバイザーである心理学者も倫理的問題の存在を否定していない。

しかも、メディアやネットなどを総動員した政府によるプロパガンダによって、人々の間に恐怖心が過度に浸透してしまい、抜けることが非常に難しくなってしまった。心理学者たち自身がリスクを過大に見積もっていたのだから、始末に負えない。

もっとも、このような非常に無理のある政策が本当に「より大きな善」のために有効であればまだしも、実際のところは大きな疑問符を付けざるを得ない。

ロックダウンなどの「感染症対策」が有効であったというエビデンスはなく、むしろ身体的・精神的・社会的・経済的なダメージは明確かつ図り知れないため、「より大きな善」のためという建前そのものが崩壊しているのが現実である。

実は2019年にWHOが報告した、インフルエンザのパンデミックを想定したレポートによると、休校や旅行規制、いわゆる「水際対策」、隔離などなど、当たり前のように考えられている「感染症対策」はエビデンスが非常に弱いとされていたうえ、ロックダウンのような破壊的な対策は想定されていなかった。

つまり、みな最初から分かっていたのだ。

パンデミックは以前より懸念されていたリスクであったため、英国保健省内部でも事前に対策案は練られていたものの、引き継ぎが十分に行われないまま忘れられていたり、また専門家の会議も同じ意見の人だけが集まり、異なる意見の人は排除する傾向にあるとのことで、笑えない現実が次々と指摘されていく。

救いはこういった政策に対する批判が英国にもあることで、最高裁判所の元判事が言うべきことを言っているそうだ。

つまり、被害の大きさは必ずしも対策の強度を正当化しない、「ロックダウンも仕方がなかった」という話にはなりえないのである。

著者は最後に、今後どういう社会に生きたいか、価値や理念をもっと考えないといけないと言っている。その通りだと思う。

私の健康は私の問題であり、それが他人を守ることにつながる。もし他人に病気をうつして、その人が亡くなっても、それは仕方がない。そもそも新型コロナはその程度の病気であり、その程度のリスクしかないとも言える。一昨年までは、人に何をうつそうが何も意識せず私たちは生きてきた。誰かに管理され、あるいは心理学的手法を使って選択を強制されるような形で生きるのは、私はまっぴら御免蒙りたい。

今後、デジタル化が高度に進むにつれ、自由やプライバシーの領域がますます狭くなると言われている。であるならばなおのこと、自由とは何か、自分で自分のことを決めるとは、選択するとは何かを考え直し、ここで抵抗することが肝要だろう。

これからどのような経過をたどるのか、私にはよく分からないが、ロックダウンを筆頭に、その他多くの「感染症対策」は全く無意味か、むしろ副作用が大きすぎたことはこの一年半の経緯から明らかと言ってよい。

同じ失敗を二度と繰り返さないために、本当のこと(“truth”)を直視することが必要だろう。

このような内容の書籍なので、日本語に翻訳される可能性は薄いと思うが、読みやすい英語で書かれている。私には教えられるところがたくさんあった。恐怖にかられている人にも、呆れて醒めている人にも読んでもらいたい良書だ。

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