運動会はもうやめよう 学校行事廃止の論

運動会や音楽会の類はもうやめればいいのではないかと考えていますが、次のニュースを見て、改めてそう思いました。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191220-00000075-asahi-spo

神戸市教委、組み体操を全面禁止に 小中学校で事故多発

体育行事での組み体操について、神戸市教育委員会は20日、市立小中学校での実施を来年度から全面的に禁止することを決め、全校長に通知した。練習中の事故の多さを危ぶみ、久元喜造市長が中止を求めていたが、市教委側が応じず、その後、骨折6件を含む51件の事故が起きていた。

組み体操の禁止は、この日開かれた市教委定例会議で、5人の教育委員が全員賛成して決まった。多人数による大技の「タワー」や「ピラミッド」だけでなく、肩車や倒立、ひざの上に立つ「サボテン」など2~3人で取り組む技でも事故が起きているため、全面禁止に方針を切り替えた。

市教委は、組み体操に代わって子どもたちが一体感を得られる演目の例として「ソーラン節」や、隊形を組んで前後左右に動く「集団行動」などを挙げた。

組体操の危険性はかねてより指摘されているところであり、近年ますます危険なことをやるようになっていることが危惧されていたのは周知のところで、神戸の教育委員会が、市長の指摘もあって(市長に言われないと考えない教育委員会もどうかと思いますが)、組体操をやめることにしたのはいいことです。

しかし、組体操の代わりとして挙げられているものが、

「ソーラン節」「集団行動」

であることに、ゲンナリしました。

そもそもですが「子供たちが一体感を得」ることにどれほどの意味があるのか、私には全く理解できません。子供たちはそれぞれ人格が違うのであって、にもかかわらず学校のクラスで一体感を得るとすれば、それは宗教やファシズムめいたものになるよりなく、想像するだけで気持ちが悪くなります。(実際、「集団行動」などというものは、軍事教練の名残り以外にいかなる意味があるのでしょうか)

それぞれの人格を、その子にあったように伸ばすことが、教育なのだろうと思います。「一体感」なるものの醸成にどういう意味があると先生方がお考えなのか、大変に心もとないです。

私の塾に来るある小学生は、ある先生が自分が担任するクラスを「ファミリー」と自称するのを、バカにして鼻で笑っていました。もっともなことだと思います。

・・・

学校は勉強するところです。勉強が苦手な子供のために、勉強以外に打ち込める場を提供することに全く意味がないとも思いませんが、しかし運動会や音楽会の準備のために、授業時間を相当に削らないといけないわけで、それだけの意味がこの種の学校行事にあるとは私には到底思えません。「一体感」の問題一つとっても、意味不明なのですから。

授業時間をそんなに削るんだったら、その時間を授業・勉強に充てるほうがいいに決まっています。それが理の当然です。

運動会・音楽会などの学校行事は早々に廃止すべし。これが私の考えです。

カテゴリー: 未分類   パーマリンク

コメントは受け付けていません。