前回は欧米の醜態に落胆した話を書きましたが、日本はどうだったかというと、西側同盟国の一員として欧米に追随するしかなかった日本も知性を捨ててしまった、と思います。
一年以上前、武漢から日本に帰ってきた邦人を隔離施設で世話するのに疲れた官僚が自殺したことがありました。あるいは将来を悲観して自殺したとんかつ屋の大将がいました。他にも知られていないだけで、死ぬ必要のない人たちが死んでいったはずですが、きれいに忘れられてしまったかのようです。なぜでしょう。
「感染症対策」を正当化するお決まりのフレーズである「愛する人を守るため」が、空々しく聞こえるのは私だけでしょうか。
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日本を含めた東アジアでは新型コロナウィルス感染症の被害は、欧米に比べて非常に小さいです。その要因に各国政府がとった「対策」があげられています。
しかし、少なくとも日本に関するかぎり、それを疑わせる証拠はあまりにも多いのです。
たとえば、緊急事態宣言です。二回発出されましたが、いずれも、感染のピークを過ぎてからの発出であり、完全な空振りとなって終わっています。
また、現在はスマートフォンなどを通じた人流データが公開されています。このデータによると、人の流れと感染の拡大・縮小がほぼ無関係であることが明らかとなっています。
特に二度目の緊急事態宣言では、昼間の人出はあまり変化はありませんでした。飲食店を夜8時に閉めさせただけで、それほど大きな影響があったのでしょうか?
「専門家」たちこそ明確にその答えを語るべきですが、今に至るまでこの点にまともな回答がありません。
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しかし、「対策」の無意味さが一般にもっとも分かりやすいのはマスクの効果です。一般的には、スーパーコンピュータによるシミュレーションや、様々な実験などなどにより、効果が証明されたことになっています。
確かに、飛沫が飛ばない点に限っては明らかですが、問題はそこではなく、マスクの着用義務によって感染がいかに抑制されたかであるはずです。ところが、この点について明確な答えが一年たってもありません。
マスク着用義務のある国・地域と義務のない国・地域の比較をすれば一目瞭然で、実際には両者に差はないか、むしろ義務のある国・地域のほうが被害が大きいように見えることすらあります。
また、メディア上ではマスクを外さざるを得ない飲食店が悪し様に言われていますが、実際は院内感染や施設内感染の方がはるかに多いのです。マスクや消毒など、いわゆる「感染症対策の基本」ができているはずのところで、なぜクラスターが頻発したのでしょうか。
プロの医療従事者たちですら、自分たちの施設の感染制御に失敗しているのに、どうして一般の人たちがマスクや消毒などなどといった単純な手段で感染制御ができているという話になるのでしょうか。
日本ではインフルエンザの患者が激減した理由は「対策」のおかげだと安易に断定されています。イタリアのニュースでも同じことを言っている専門家がいました(インフルエンザよりも新型コロナウィルスの感染力の方がはるかに強いから、なんだとか)。しかし、マスクの義務化がされていないスウェーデンでもインフルエンザの患者がいなくなったそうです。
つまり、マスクについては一般に信じられているほどの有効性がない、と考える方が現実にそうのではないでしょうか。
事実、ドイツをはじめ欧州では、普通のマスクでは効きが悪いため、最近になって、公共交通機関で日本のN95レベルのマスクをするように言い出しました。実質的に一般的なマスクが効かないことを認めているものと考えていいわけで、そこは日本よりもはるかに正直だと言えます。
ただし、N95レベルのマスクを一般の人たちが正しく着用することは難しく、また正しく着用できたとしても窒息するだけで長時間の着用は不可能です。それも当然で、医療従事者が仕事のために使うためのものだからで、そんなものを一般に推奨する方の頭がどうかしているのです。いずれにせよ、欧州の知性の放棄ぶりを示しています。
米国でも二重マスクは有効だという声が出始めましたが、全く同じ文脈にあるといってよいでしょう。
百歩譲って、マスクに一定程度の有効性があると仮定しても、問題点について何の検証もなされていません。
一般の人たちはマスクを正しく使用できないので不潔を極めているし、酸素と二酸化炭素のバランスに問題が生じる場合もあるでしょう。また、身体面のみならず、精神面の影響も考えるべきです。マスクをしているだけで息苦しく、ストレスを感じる人がいるのは当然で、そういう人たちへの配慮がなさすぎます。
とりわけ、子供に長時間にわたってマスクをつけさせることは、児童虐待です。子供の健全な成長に影響を与えるからです。
効果・副効果の十分な検証がないものを、日本の場合は実質的な義務(欧米の場合は罰則付きの義務)とすること、それ自体が大きな問題だと言わざるをえません。
これはマスクのみならず、他の「感染症対策」のほぼすべてに言えることです。効果と、身体的・精神的・社会経済的影響とのバランスを批判的に検証したことが、これまで一度としてありません。
科学的な根拠が怪しいものを「感染症対策」であると一方的に断定し、無理矢理社会に押し付けて、その結果の検証はしないか自画自賛するのみ。疑問を持つ者は、反社会的存在として、メディア上で何を言われても構わない対象とされる。
ファシズム・全体主義ではないかと考えうる理由がここにあり、この方法を採用した欧米を、日本も追随した格好になっています。
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日本でもメディアに出てくる「専門家」たちに信用がおけないことについては欧米と同じでしたが、これについては項を改めます。