大根とイタリア語

7月4日、城北公民館で講演をしました。

そこで、大根というものはイタリアにあまりないしレシピも見ないという話をしたところ、お聞きになっておられる方の中に、すぐにインターネットで検索なさった方がおられ、イタリアにも大根はあるというお話でした。

大根のことをイタリア語では rafano bianco giapponese というのだそうです。字義通りとれば、「日本の白い “rafano”」という意味です。

ところで、この “rafano” という単語ですが、手元にある伊和辞典によれば「ラディッシュ、ハツカダイコン、ワサビダイコン」とあります。またイタリア語辞典を見ると、辛味のする食用の根、とありました。

大根のイタリア語を教えてくださった上記の方が検索してくださったところによると、大根はイタリアに輸入され、ミラノのスーパーなどで販売されることもあるそうです。住んでいる日本人が多いでしょうから、そういうこともあるように思います。

とはいえ、一般的に大根が食されているわけでは、やはりなさそうです。

想像していただくか、ネットで画像検索していただくと分かりやすいと思いますが、ハツカダイコン、あるいはワサビダイコンのようなものと、日本の大根はまるで違います。大根それ自体はアジアで改良栽培されたものなんだそうで、元来ヨーロッパにはありません。

私はずっとローマにいましたが、ローマの市場やスーパーで、カブはあっても大根を見た記憶がどうもありません。

また、料理法としても基本的には大根は「東洋の物」扱いになっているようですし、一般的な食材であるとはなかなか言い難いのでしょう。

興味深いのは、大根をイタリア語にする時、どういう名前をつけたものか、苦労の跡がみられるところです。

例えば、「ポルチーニ茸」は日本語に既になっていると思いますが、これを「イタリア茸」と言っても仕方がないようなところがあります。

大根を「日本の白い “rafano”」とイタリア語で名づけているのは、それと同じことです。間違いとは言えないけれども、それは本当に大根だろうか、という胸のつっかえが取れないようなところがある。翻訳の難しさが、こういうつまらないところにも表れているように思います。

いずれにせよ、大根はミラノあたりではスーパーで販売されていることもあるということを知って、大変に勉強になりました。

 

 

 

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イタリア人の姫路旅行記

久しぶりにブログの更新です。何を書いたら良いか、材料がなかなか見つからなかったのですが、幸い一つ、見つけました。昨年日本を旅行したイタリア人の旅行記です。その際に彼は姫路を訪れており、ちょうどその部分がアップされたことをFacebook 経由で知りました。面白いので、著者の許可を得たうえで、日本語に訳してみることにしました。以下、全文です。誤訳などはご容赦。

元記事 http://www.nihonjapangiappone.com/wordpress/2014/06/26/8gg-il-castello-himeji-ed-il-giardino-koko-en/

 

8日目 姫路城と好古園

今朝は有名な城を見に姫路へ向かう予定。適当な時間に起床、いつものようにとてもお腹がすく。

このホテルは朝食がたっぷりしている。自分が取ったのは、魚とミートボールを少し、スリミ(訳注:カニカマのこと)、ケチャップだらけのたまご、いろんな漬物、味噌汁、オレンジジュース、梅干しひとつ、カフェ・ルンゴ、ご飯を一膳、どうしても食べてみたかった納豆。
取ったものは全部食べてしまうと、再びビュッフェへ戻り、マーマレードをつけたトーストを用意した。ヴァカンスは、僕のお腹が減るという奇妙な効果を引き起こす。

日本人から学ぶべき良い習慣の一つは、手拭いだ。手拭いとは、いろいろな大きさの生地によるハンカチで、男も女も、「アツイ」つまりうだるような暑さの時期にいつも使うミニタオルのようなものである。この不思議な道具で、ひどい気候でも大して気にならず、乾いているような気分になれる。女性たちはバッグのなかに入れて持ち運んでいて、目立たないように気を付けながらそれを利用する。男性はもっとぞんざいで、ズボンのベルトにかけておいて、とりわけしんどい仕事をするときには首に巻いたり、額に巻いたりする。
この汗拭き用のハンカチを発見してからというもの、100円ショップでたくさん買わないわけにはいかなくなった。
慣れていない自分にとっては、地下鉄の中でもこれは必需品だ。エアコンから落ちてくる冷たい水滴が、汗で濡れた首にかかるのを防ぎたいから。

大阪の地下鉄は、もしもツーリストパスでJRを利用していなければ、大変な出費になる。難波から新大阪まで7駅に停車するが270円(約2.5ユーロ)もする。そのうえ切符の料金を計算することや、駅名の漢字が分からなければ乗るべき路線を見つけることが難しい。なにせ東京と違って、旅行者向けの表記がない。地下鉄の職員に直接聞いて助けてもらわないといけない。僕たちが会った職員さんは、いい日本人で、券売機でちゃんと券を買わせてくれた。

今日は土曜日で、街は静かだ。ようやくマスターカードでお金を引き出した。コンビニではお金はおろせない。

駅につくと、初めて「ベントー」を列車の中で食べてみることにした。どれにすればよいか、選ぶのが難しい。たくさんあるし、どれも美味しそうだ。
ガラスケースのなかには見本が並んでいて、本物そっくりである。そうと知らなければ、偽物のエビのてんぷらを本物だと勘違いして食べてしまいかねない。

それぞれ箱には値段がかかれている。800円から13000円の幅があるが、さらにはカロリーまで書いてある。体型を維持したい人には非常に重要な情報だ。
僕たちは2つで1800円(16ユーロ)するのを買い、これで列車に乗り込む準備が完了。

駅にあるショップには、まったく不必要だがとても素敵な小物やアクセサリーが無数にある。取り換え可能な色付きの柄がある傘、トーストに楽しい形をつけるための型、笑顔の形をしたナイフ、ようはそういうものがたくさんある。
棚から、頭の大きなサムライの形をしたペンダントが私を見ている。これは抵抗できない。すぐに買った。
すぐさま彼には敬意を表してムサシと名付け、カメラの入ったリュックにかけた。これから旅の良い友になってくれるだろう。

新幹線はきわめて正確で、僕たちは、乗るべき車両の番号が書かれた線のところで、僕たちの数センチ前のところにあるドアが開いて車両にのせてくれるのを待っていた。時刻通りに座席に座り、目的地へと出発した。

停車駅ごとに、アナウンスの前に音楽が流れてうんざりする。僕たちと同様、日本人もこれは大嫌いだろうと僕は確信している。

姫路駅では、駅員は皆、深く深くお辞儀をしてくれるのだが、これにはまだ慣れることができない。
イタリア人としては自分は単なるお客にすぎない。しかし、彼らは客のおかげで彼らの仕事が保証されていることをよく分かっていて、だからできる限り親切でいようとするのだ。

姫路城は2014年のはじめまで修復中らしい。もちろん、僕たちはそんなこと全然知らなかった。駅から城に向かって路上に出て、カメラをズームにしたら、足場があることに気が付き、それで今日になって初めて知ったのである。

駅から城まで数分で着くようにバスがあるらしいが、しかし僕たちは石畳を行く辛抱強いサムライだ。だから、ガンガンに照っている太陽のもと、ひょっとしたら泳げるんじゃないかという湿度のなかを歩いて行くことにした。

城の広場は巨大だ。そして、今日の太陽は、グリルの上の炭のように僕たちを焼いてしまいながら、その力を存分に僕たちに見せつけてやろうと決めてしまっていた。
自分が気に入るような帽子はまだ見つからない。だから参ってしまわないように頭の上に小さなタオルをのせて歩いた。湿度は到達しうる最大限に高いところをかすめていて、太陽に照らされた冷たいボトルのように汗をかく。水、緑茶、カルピスをいくら飲んでも、まだ信じられないくらいに喉が渇き続ける。

城はほとんど何も見えない。足場から覗く横脇にある建物、瓦、そして修復に使われる山と積まれた大量の材木。
もし最初から知っていれば、この太陽の下、こんな旅行はしなかった。大阪の街中を静かに散歩でもしていたのだ。たぶんホルモンの串焼き屋でも探して。
この旅行の一番よかったところは、城の右側にある歩道を裸足で歩いたことくらいだ。

もう完全に汗でびしょ濡れになってしまった。もし私のように本当にやむを得ないということでないのであれば、8月の日本でヴァカンスを過ごさないように、皆さんにはおすすめする。

わずかの平安と涼を求めて、僕たちは城の脇にある有名な好古園を訪れることにした。庭は大変に美しい。どこを見ても素晴らしい眺めにうっとりする。こけむしたところ、もう角がとれてしまった岩でできた小さな滝、釣りキチ三平が幸せになるであろう色がついた鯉がたくさんいる池、木々の間を通る砂利道、澄んだ水の上を渡す石の橋。

道沿いには、素晴らしい木造の東屋が点在していて、休息所になっている。そこで、ちょっと座って、物思いにふけったり、おしゃべりをしたり、あるいは単純に、東屋を囲む景色の美しさを嘆賞することができる。
セミの鳴き声はこの時期、耳をつんざくようで、僕たちに息をさせてくれないうだる暑さに彼らも音を上げているかのようだ。
もし時間が許すなら、もう少しとどまって、この小さいが完璧な世界に閉じ込められたあらゆる美しさを嘆賞しているに違いない。でも、この天気のせいで僕たちも意気を喪失してしまった。だからとにかく動いて、行くべきところへ行かなければならない。

駅へと戻る道すがら、少しの時間をショッピングにあてることにした。エレガントな着物の店に入り、ゆかたを買う。黒い生地に赤い花のゆかたはシモーナのため、緑のは僕の、もう一つは女友達に贈る結婚祝いのプレゼント。
店内は、まるで時代をさかのぼったかのように古い内装をしている。家具は、時間によって黒ずんだ厚い木でできていて、着物を着るところは一段高く大きな畳のところにあり、まるでプライベート・シアターで演技でもしているようだ。かたわらにあるのは、模様の入った木でできた折り畳みのできる提灯、金の細工が入った日本の古いテーブル、全身を見られるよう、傾きをつけることができる大きな鏡。
店は大きいが、光は乏しい。ただ売り場の大事なところだけを照らすのみだ。
支払いは、赤い皮の張られた古い椅子に座って、天板がクリスタルの大きな机のうえで済ませる。まるで、明治時代のアトリエが現在にやってきたようである。

礼儀正しさが際立っている。そこにいる売り手の三人は、ゆっくりしていて、細部に非常にこだわる人たちで、いささかもゆるがせにしない。

浴衣をたたむのに、僕には永遠に続くかと思われた時間を要した。すべての角は完璧でなければならず、すべての折り目は先の折り目と正確に同じでないといけないし、包装はもう開封されることはないんじゃないかというくらいに完璧でないといけない。
ゆかたは、路上の屋台でみかけるような安物じゃない。それは、生地を触ってみるだけでも分かる。本当にエレガントで質の高い物を手に入れるのに、それだけ出費がかさんでもそれは値打ちがあるというものだ。

ちょっとよく分からないのは、ここ姫路では人々はエスカレーターの右側にたっていて、東京のように左側じゃない。でもたぶん、いつか、こんなことも分かるようになるのだろう。とにかく、新幹線にのって大阪に帰ることにする。夜はもう近い。

ここ日本でも、地下鉄に乗る人たちはローマと同じような振舞いをする。エスカレーターのすぐそばのドアに殺到して、いちばん混んでいる車両に乗ろうとする。先頭車両の方にいけば、座席に座って心地よく移動することがいつでもできる。

大阪に戻って、僕たちは例によって夜の散歩に道頓堀を歩き、ホテルからそう遠くないところでお好み焼きを食べることになった。お好み焼き屋の優しい女主人は僕たちにお好み焼きを作らせてくれない。よく知らないと思ったんだろう。だから、出来上がったお好み焼きが直接僕たちの鉄板に供されることとなった。

おかしなことに、そばのテーブルに座っていた日本人のカップルは二人でたった一つのお好み焼きを全部食べられなかったのに、僕たちは二枚をあっという間に平らげてしまった。たぶん、彼らはお互いのことが好きすぎて食べ物のことを考えられないんだろうが、僕たちは食べ物が好きすぎる。

今のところ、日本で一番美味しいお好み焼きを食べたわけだが、しかし他のお好み焼きを試してみる時間はまだある。

 

(東海)

Laboratorio Linguistico Italiano(イタリア語ラボ)

〒670-0871
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正しいカルボナーラの作り方:絶対に生クリームを使うな

イタリア人は食事にうるさい人たちです。先月、日本旅行にやってきたイタリアの友人たちが京都で花見をしたときも、12時頃になるとお腹がすいて、何を食べようかと話し出したんですが、自分たちで、

「イタリア人は腹時計が正確だ」

と言って笑っていました。

そこでカルボナーラです。

日本でもスパゲッティ・カルボナーラは非常に有名でもっとも人気のあるパスタの一つです。

しかし、カルボナーラの正しい作り方は、依然として日本では普及していないように思います。ここにもっともオーソドックスでシンプルなカルボナーラの作り方を紹介します。ポイントは「生クリームは絶対に使わない」です。日本でしばしば信じられている「カルボナーラはクリームソース系のパスタ」であるというのが、まったくの誤解、重大な間違いです。それだけは絶対にやってはいけません。

1 卵とパルミジャーノやペコリーノチーズを混ぜておきます。

2 フライパンにオリーブオイルを入れ、パンチェッタ、あるいはグアンチャーレを低温でじっくり炒めて、豚肉のうまみを引き出します。

3 パスタを湯がきます。

4 ゆで汁をフライパンに入れて乳化させつつ、豚肉の旨味をさらに煮出していきます。塩味を確認して整えます。

5 パスタがゆがけたら、ザルにあげて、すぐにフライパンに投入。ソースをパスタに全体に絡めて、最後にあらかじめ用意しておいたチーズを溶かし込んだ卵とあえます。卵に火が通りすぎないように、火加減に注意します。

6 皿に盛りつけたら、上からさらに粉チーズと黒コショウをふりかけて出来上がり。召し上がれ。

これが、もっともシンプルなカルボナーラの作り方です。

ところが、日本ではこの作り方が普及していません。なぜかというと、一つはこの通りに作ると非常に濃厚になるのですが、日本人の口にはやや重すぎる嫌いがあって、生クリームでマイルドにしているのであろうと思います。

また、「とろとろ」の食感にするために、生クリームやミルクなどを使ったほうが作りやすいということだと思いますが、火加減に注意して、スパゲッティーニやカペッリーニなどの細いパスタを使わなければ、失敗するということはまずありません。なにより、豚肉の旨味をちゃんと引き出していれば、卵が少々モロモロになったところで十分に美味しいのです。

ローマの人間によれば、生クリームの類は絶対に使うべきではない、という話になるので、日本人が思い描いているカルボナーラは全く論外の代物、というべきであるということになります。

ただし、食事のことだけはやたらうるさいイタリア人のことですから、それぞれの家庭、作り手によって、レシピは極めて多様です。玉ねぎをいれる人いれない人、ニンニクを使う人使わない人、全卵にするか黄身だけにするか、どのタイプのパスタを使うか、などなど、変数はたくさんあります。

さらに、私にカルボナーラをごちそうしてくれたローマの友人カップルは、卵に少しミルクを入れていました。びっくりして、

「ミルクを使うの?」

と質問すると、

「うん、うちのカルボナーラはミルクを少し使うけれど、これは普通の作り方とはちょっと違う」

と言っていました。

つまり、こういう作り方はあくまで例外で、カルボナーラにミルクや生クリームを入れることはまずないことだと断じてよろしいのです。

(東海)

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イタリア人に対する偏見の問題について

イタリア人は、いいところもたくさんあるのですが、もちろん悪いところもたくさんあります。残念なことに、イタリア人は人種的偏見がきつい人たちだということは認めざるを得ない部分があり(念のために書くと、日本人も人種差別という観点からは無罪ではありません)、私も単にバス停でバスを待っているだけで唾を吐きかけられたりなど、悲しい思いをしました。

しかし、今回はイタリア人自身が差別されてきたのだ、という話を書こうと思います。イタリアから外に出たイタリア系移民の話です。以下、Sergio Romano 著 “Storia d’Italia”の第四章「移民:イタリアの外のイタリア」を参考にまとめていきます。

そもそも、イタリア人はイタリア統一以前から半島の外に出る人は少なくなかったそうで、たとえば1857年のマルセイユでは、人口235,000人のうち、18,000人以上がサルデーニャ王国の人たちであり、あるいはエジプトでは1820年にはイタリア人が6,000人、1870年になると9,000人いました。さらに、オスマントルコではイタリア人は商売人としてそれなりの地位を占めており、社会的に成功する人もいたようです。彼らの優位性は何と言ってもイタリア語にありました。というのも、古くから物品の交流が盛んであった地中海世界では長らくイタリア語が通用しており、エジプトでは1871年までイタリア語が公に使われる言語の一つであったそうな。

イタリア統一後、移民は拡大の一途をたどります。1880年まではヨーロッパ諸国、とくにフランスに移民するイタリア人が多く、1880年以後は大西洋を渡る移民、すなわちアルゼンチン・ブラジル・アメリカ合衆国といった国々に渡る人が増え、これらの国には1913年だけで376,776人のイタリア人が渡ったそうです。背景としては、西欧諸国の工業の発展と、イタリア統一後の南部の貧困化ということが挙げられます。せっかく統一したのに祖国を離れなければならないという状況を思うと胸が痛みますが、しかしながらこのことはイタリアの経済・社会の発展に資したのです。というのも、移民たちの祖国への仕送りによって全体としては経済のバランスがとれ、祖国に残った者にとっても労働条件の改善になった、という側面もあったわけです。

統一後、移民したイタリア人たちには道路工事、鉄道建設、建築業といった職しかなく、彼らの苦労は大変なものでした。農業などで移民したものもいるにはいましたが、移民した南部の人々はもっぱら都市生活を好んだのです。同胞とのつながり・コミュニティを再構築できるうえ、移民する以前の労働者としての生活を可能としてくれたからです。

専門職として特に技術のない移民たちは、移民先では労働力を提供する源となりました。他方で、プロテストや騒乱の温床という側面もあり、敬遠されるような向きもあったのです。したがって、ユダヤ人居住区ゲットーのように、物理的にも倫理的にも隔離されてしまう、ということがあり、さらに言えばイタリア系移民に対する「敵意」まで醸成されてしまいます。

とりわけ米国ではこの種の偏見は根深いものがあったようです。米国はプロテスタントの国ですから、カトリックの国からやってきたイタリア人は好まれぬところでありますし、単純労働者が不満にまかせて暴れたり、あるいはイタリア人だけでかたまって生活していると、やや気持ち悪く思われるのも致し方ないところであり、同胞だけで集まる様は「マフィア」みたいだという印象を与えてしまうのもやむを得ない次第でしょう。

そこである特殊な雰囲気が生み出されてしまい、著者のRomanoは“pogrom”という強い単語を使っていて、つまりポグロムとはマイノリティに対する組織的虐殺を指すと解していいと思いますが、そういう事態になってしまったというのです。

イタリア系移民に対する風当たりがいかに強かったか。

たとえば1890年10月、ニューオーリンズで、警察の巡査長が5人の男に傷害を負わされ死んでしまった事件がありました。彼の最後の言葉でイタリア人を非難した、らしいのです。そこで、多くのイタリア人が裁判にかけられましたが、証拠不十分で無罪になる者が出ると、シチリア人漁師たちはこれを喜び、星条旗のうえにシチリアの旗を掲げたこともあったそうな。

しかし、1891年3月14日深夜、その前日出された同事件裁判における容疑者に対する無罪判決を不服とした群衆が街の広場に集まり始めてしまったのです。その音頭をとったのがウィリアム・パーカーソンという弁護士で、かれは150丁のカービン銃を配布したうえ、弁護士・医師・銀行家などの立派な市民たちによって構成されたデモ隊が刑務所に行進し、うち50人が入口に殺到、無罪となったイタリア人2名を縛り首にし、さらに9名を銃殺してしまった。英語版Wikipedia の記述を見ると、パーカーソンは「誰が陪審員を買収したんだ?」と言ってのけ「正義の失敗に対する補償が必要だ」と扇動したらしい。

Romano の記述はさらに強烈で、パーカーソンに「武器を持たない人間を部屋に閉じ込めたうえで銃殺するというのは、勇敢とは言い難いですな」と言う人がいたが、それに対してパーカーソンは「その通りだ、武器を持たないものを攻撃するのは勇気ある行いとは言えないが、しかし我々にとって連中は爬虫類も同然だ」と言ったそうです。

これに対し、イタリア王国は、街を去りたいイタリア人を祖国に帰還させるために艦船を派遣し、米国との外交関係を中断したんだそうです。

また、Romano はフランスにおける同種の「ポグロム」を紹介し、フランスからトリノに逃げてくるものが多かったのだという例を紹介をしています。

このように、イタリア系移民は、移民先で非常な困難に直面することは少なくなく、現地にあわせて名前を変えてしまうということもないわけではありませんでした。

しかし、大半のものは、イタリア系の居住区に粘り強く住みついて、文化的アイデンティティを保持したのでした。教会や食堂などが、彼らにとっての拠りどころとなったのです。

以上でRomano “Storia d’Italia”の参照は終わりですが、これに付け加えたいのは、このようなイタリア人に対する偏見・差別は、今でも決して終わったわけではない、ということです。私はもちろんイタリア人ではありませんが、特に英語圏におけるメディアのイタリア・イタリア人に対する扱いはひどく、限度を超えていると思わざるを得ないものがあります。国際的に高名な新聞でも、偏見で書かれた記事を平気で書いて、さて、訂正記事を出してくれるのかどうか。

イタリア人独特のキャラクターや、イタリア語なまりの英語など、偏見の原因となるものには事欠かないうえ、世界はグローバル化し、そのような偏見の目を通して書かれた新聞記事が一瞬のうちに広まってしまう時代です。イタリア語のようなマイナーな言語でじかにイタリアの情報に接する人よりも、英語や英語からの翻訳で情報を得る人が圧倒的に多いのは当然のことですが、しかしその英語の記事が公平に書かれているかどうかは全く別問題であり、

「イタリア人は爬虫類も同然だろ」

という視線でひどい話を平気で書いているということも、ままあるのです。

そうなると、イタリアの現実を知らない世界の人たち、英語による情報しか接しない人たちは、そういった偏見を知らず知らずのうちに共有してしまうことになっています。

イタリア人は決して手放しで賞賛に値するような人々ではありません。その反対で、本当に嫌になることがしょっちゅうある、「アホ」な人たちだと私ですら思うことがよくあります。

それでも、どの国の人、どの民族にも美点欠点の両方があるはずであって、イタリア人だったら偏見の目で見ていいというわけには決してなりません。

イタリア人を、イタリアを、もう少しちゃんと理解してほしい、理解してくれる人が一人でも増えてほしいという私の願いは、ここに根っこの一つがあるのです。

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ローマの一日常風景:サン・ロレンツォの夜の騒音問題

紹介する記事自体は短い話ですが、これがローマの日常なので、見てもらいましょう。

いつもローマのニュースを伝えている “Roma Today” が、読者からの訴えを取り上げています。タイトルは「私たちが暮らしているサン・ロレンツォでは毎晩どうなっているかを理解してもらうための30秒のビデオ」となっています。

あれこれ言わずに、まずは見てもらいましょう。

http://www.romatoday.it/social/segnalazioni/video-movida-via-degli-ausoni.html

金曜日から土曜日の深夜にかけての光景で、下には「市長、今すぐどうにかしてください。私たち住民はもう耐えられません!」と書いてあります。

どういうことなのか説明しましょう。

サン・ロレンツォというのは、ローマの東部、テルミニ駅のすぐ北側に広がる地区です。ローマ七大聖堂の一つ、サン・ロレンツォ・フオリ・レ・ムーラ大聖堂があることから、この名前がついています。サン・ロレンツォの大聖堂は、日本のガイドブックにはあまり書いてないのではないかと思いますが、それもそのはずで、1943年7月19日の空襲の際に古い教会は大きな損傷を受けてしまい、現在の建物はオリジナルをできるだけ生かしたものになっているとは言いながら、戦後になって再建されたものです。

サン・ロレンツォの大聖堂のすぐそばには、ヴェラーノ墓地があり、ここには数々の著名人が眠っています。例えば、映画監督のヴィットーリオ・デシーカ、ロベルト・ロッセリーニ、俳優のマルチェッロ・マストロヤンニ、作家のアルベルト・モラヴィア、ASローマのオーナーであったフランコ・センシなどなど。

また、この地区には飲食店がひしめいており、すぐ近くにはラ・サピエンツァ大学があることから、夜遅くまで楽しんでいる若者たちでにぎわっています。観光客が行くような中心街のお店とは違って値段が割安なので、地元のローマ人たちはサン・ロレンツォで楽しい一時を過ごすのです。

さて、ローマで、友達と夕食に出かけるとしましょうか。楽しく食事をしながらおしゃべりをして興じるのですが、名残惜しくてなかなか話が終わらないというのが人情です。そこで、しばしばバールなどに行ってビールなどの飲み物を買い、外に持ち出して、立ったままおしゃべりを続ける、というのが常なのです。

もちろん、おしゃべりしている当人たちはそれで結構ですが、周辺の住民にとっては静かな夜は訪れないことになります。夜の12時をまわってもまだやかましければ、これが連日続くわけですから、いい加減に耐えきれなくなるでしょう。

それが、上のビデオです。サン・ロレンツォの住民が、静かな夜を返してくれと言って、たまりかねてビデオに撮ったわけです。

この住民は市長の介入を求めていますが、実際私がローマにいたころは一時期、夜の11時以降、アルコールを店から持ち出して外で飲むことは禁止されていました。

しかし、バールなどの飲食店からすれば売り上げの問題に直結し、消費者としては楽しみが減ってしまうので反対意見も根強く、規制が撤廃されたかそれとも有名無実化したか、とにかくビデオのような有様であって、私が日本に帰ってくるころには元の木阿弥でこうなっていました。

この際、ことの是非は論じないことにしますが、観光客には見えにくい、ローマの日常の一端を感じてもらえればと思います。これがローマです。

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ターキィ!:名前の呼び方呼ばれ方

イタリアでは、他のヨーロッパの国々と同様に、人を呼ぶときは、姓ではなく、名で呼びます。たとえば、「マリーア!」「アンドレーア!」云々と言った具合。ですから、私はいつも

「タケーシ!」

と呼ばれていました。イタリア語では通常後ろから二番目の母音にアクセントがくるので、「た」けしではなくて、たけーし、です。

ところで、イタリアにも方言がたくさんあり、私が暮らしていた街ローマもその例にもれません。ローマ弁というものがあるわけです。この方言では、何でも短くしてしまう癖があります。たとえば、アレッサンドロは、

「アレッサー」

となります。フェデリコ・フェッリーニの映画「ジンジャーとフレッド」でも、ローマのテレビ局の女性が、番組の出演者が宿泊していたホテルの従業員に向かって「アレッサー」と言っていました。

ですから、私が呼ばれるときも、「タケーシ」ではなくて、

「ターキィ!」

と呼ばれていたものです。

・・・

イタリア語ラボのアカウントは“takinstitute”になっています。

Laboratorio Linguistico Italiano (イタリア語ラボ)を開くにあたって、名前を決めなければならない時に、イタリアの友人たちにネット上で聞いたのです。どのような名前がよいかと。すると、

「タケシ・インスティトゥートはどうか」

という案が出てきました。これは、イタリア語としては素晴らしい名前なんですが、日本語としてはあまりにも自意識過剰に響くので採用できませんでした。しかし、どこかでこの名前を使おうとは思っていました。そこで、サイトのドメインを取るときに、この案を採用したというわけです。

でも、ドメイン名としても“takeshiinstitute” は長すぎます。

そこで、“takeshi”の部分はローマ流に短くして“taki”にしてしまい、“taki”の i と“institute”の i を重ねて、“takinstitute”とした、というわけです。

名前の呼び方付け方ひとつとっても、そこにはイタリアがあるのです。

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ブログも開設

こんにちは。

Laboratorio Linguistico Italiano (イタリア語ラボ)の東海です。このブログでは、イタリアの面白くて、アクチュアルな話題を書いていこうと思います。料理やサッカーのような楽しい話から、政治社会といった重い話まで、イタリア人の日常を幅広く伝えることができれば幸いです。

(東海)

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