中学生から一緒に勉強をしている、現在高校一年生の子が、今回の英検で凖二級を合格しました!
勉強はどちらかというと苦手な子ですが、中二の春休みに英語を頑張って勉強したら、そのまま英語が好きになってくれた子です。
よくぞここまでやってくれました。
英検二級のハードルはぐんと上がりますが、次も頑張ってほしいです!
中学生から一緒に勉強をしている、現在高校一年生の子が、今回の英検で凖二級を合格しました!
勉強はどちらかというと苦手な子ですが、中二の春休みに英語を頑張って勉強したら、そのまま英語が好きになってくれた子です。
よくぞここまでやってくれました。
英検二級のハードルはぐんと上がりますが、次も頑張ってほしいです!
よく、間違えることを過度に恐れる子供がいます。問題を解いていて、絶対に間違えてはいけないと思っているらしく、ちょっと言っただけでもビクビクしたりして、委縮してしまっていたりします。
あまりに変なので話を聞いてみると、大人が子供に対して間違いを過度に叱っていることが多いです。それで、私が声をかけただけでも、すごくおびえた反応をするのです。
そこで、いつも思い出すことがあります。
私が京都にいた時、イョルク・デームスというウィーンの名ピアニストに声楽の「レッスン」を2回受けたことがあります。その時に、デームス先生が、どういう文脈でおっしゃったかは忘れましたが、
「ゲーテは、ファウストで『努力するものは間違える』と言っている」
というお話をされました。
これはファウスト第一部の最初のほう、「天上の序曲」にある一節です。主とメフィストフェレスとの会話の場面で、主が、
Es irrt der Mensch so lang er strebt.
と言います。手元にある手塚富雄の訳を見ると、
「人間は努力するかぎり迷うものだ」
とあります。irrtという動詞に「迷う」という訳を素直にあてているわけですが、このirrenという動詞には「間違える」という意味もあります。意味に大きな差はないかもしれませんが、
「人間は努力するかぎり間違える」
と訳すのが、私は好きです。
・・・
一番間違えないで済む方法は、何もしないことです。何もしないのだから、間違えようがありません。
ところが、何かをしようとすると、その瞬間に試行錯誤が始まります。間違うことなしに成功することはありません。
語学の勉強がその好例で、間違えることを恐れていては、何もできません。日本語ですらしょっちゅう間違えている私は、外国語では間違いの連続です。口に出してみたり、文章に書いたものをネットにあげてみた後になって、ああ、あれを間違えた、これを間違えた、恥ずかしいなぁ!そんなことばかりです。
学校のお勉強でも全く同じです。間違いを見つけることから勉強は始まります。何が分からないかが分からないと、勉強はできません。正解を教えられて、それをその通り書くことが勉強ではありません。
・・・
だから、間違いを恐れる子供たちに私はいつも言います。
間違いを恐れてはいけない。昔、ドイツのえらい詩人でゲーテという人がいた、知ってるか?知らない?まあ知らなくてもいいけれど、そのえらい詩人が、「人間は努力するかぎり間違える」と言ったんだ、どんどん間違えたらいい、努力している証拠だ。
。。。もちろん、絶対に間違いの許されない場面というものはあります。間違いが許されない、肝心のところで全然ダメだ、そういう気の抜けた話が昨今目につくような気もします。
でも、間違えてもいい場面で間違える経験をどんどんしていかないと、人間、とっても生きづらいんじゃないでしょうか。試行錯誤がないと進歩がないのに、間違えることを許さないで、どうやって進歩していけるんでしょうか。
生きていると、安易な「正解」なんてどこにもないし、そういうものがあるという前提を持つ方がどうかしていると私なぞは思います。
ところが、世間を見回すと「正解」があると信じている人が少なくないようです。「正解」とされるものに頼って、「間違い」を避けた気でいたりする。その「正解」が本当に「正しい」のかどうか、何の保証もないのに。
私は、これまでたくさん間違えてきました。失敗もしました。それで全く満足だとは言わないし、悔しい気持ちもありますが、でもそれが生きるということだろうと思っています。正解だけの人生だったら、随分味気ないでしょうね。
だから、子供たちにも、たくさん間違えて欲しいし、失敗してほしい、そうして前に進んでほしいと願っています。
もちろん、大人たちの方にも、「努力するかぎり間違える」、だからもっと間違えたらいいじゃないか、そう言いたくなる場面がたくさんあるようです。
私はオペラ講演会の準備のために、まずは取り上げる作曲家の伝記を何冊か読むことにしていますが、そのたびに才能と出自は関係ないことを痛感します。
モーツァルトが宮廷音楽家の家に生まれて英才教育を受けたのは有名な話です。確かにそういう家庭環境だと有利ではあるのでしょうが、そういう人ばかりではありません。
例えばジョアキーノ・ロッシーニは、イタリアの田舎町の生まれで、父親はラッパ吹き、母親は歌手、とはいうものの単に下町の「音楽家」でしかなかった両親がモーツァルトのような英才教育を施したわけではなく、家庭環境としては決して恵まれたものではありませんでした。しかしそういう子供でも、才能を見抜く大人たちが周りにいたので、世に出て大きく羽ばたくことができたわけです。
そういう状況は今でも変わりません。秘めた才能を持っている子供がどこに隠れているか、よく目を凝らしていなければならない。もちろん、子供たちがみなモーツァルトやロッシーニであるわけはなく、特殊な才能があってもなくても、みな等しく平等に幸せになる権利を持っています。ただ、大人の方が子供の可能性を否定したり限定したりすることは極力控えなければなりません。
・・・
普段、子供たちと接していて、彼らの発想があまりにも現実的だと思うことがよくあります。自分で自分の可能性を限定してしまう、きわめて保守的な子供が少なくない。
これも世の趨勢で、大人の世界の反映だと思いますが、これでいいわけがありません。
できるかどうか分からないがとにかく200の目標を立てて実際にやって見て、その結果、たとえ200にならなくても、150になった、100まで出来たという話ならよく分かります。
ところが、平均がだいたい50だから、自分も50くらいできたらそれでいいや、という話になりがちです。
みんなが平均を目指していくと、年々その平均が下がっていき、上がることはありません。50がその時の平均であれば、49でも許容範囲でそれでよくなってしまい、そのほうが楽ですから、次の平均は49に下がってしまいます。
そういう発想で生きている子供が少なくないのは、実際に大人たちがそうなっているからに相違ありませんが、これでは面白くありません。
その時点では無茶なようでも、まずは大きな希望をもって欲しい、そしてその子にふさわしい世界で幸せに生きて欲しいと思います。
そのためにはまず大人が、子供たちの環境整備をしなければならないし、大人も子供たちに負けずに目の前の現実からまずは離れてみる発想が必要になってくるでしょう。
大人が、非現実的であっても200のことを言ってみて行動する。目の前の現実に捕らわれて、否定することをやめる。子供たちのために、大人たちの視野狭窄をどうにかする必要がないでしょうか。
もっとも、こういうことを言うと、現実的でないことを言うなと叱られるわけですが。。。
草森紳一さんとは、縁あって親しく会話をする機会が何度かありました。東京駅の近くの飲み屋でお酒をおごってもらったこともいい思い出です。
私は草森紳一の良い読者ではありませんが、これだけは読んでいました。 懐かしくなって、新しく収録された随筆のためにまた買って読みました。
草森さんとは何回か電話をしていますが、亡くなる2か月前にも私が電話をして、長い無駄話をしています。
その時の会話はここには書きませんが、草森さんの死後になってむしろ死人に口なしをいいことに、という話が流布しており、これは草森さんが生きていたら一体どう思うんだろうか、ということがままあります。
草森さんとの何回かの電話のなかで、一つ今でもよく覚えているのは、
「時間は魔法だよ、時間がたつとすべてを流してくれるもんだよ」
という言葉です。
『そりゃねえ、草森さんみたいな人はそれでいいけれど、私みたいな世俗の垢にも欲にもまみれた人間はそういう達観はできないですよ』
と答えたように思いますが、そういう人だったので、草森さんからすると、死んだ後のことまでわしゃ知らんわい、というところでしょう。
・・・
草森紳一というと、大量の本に囲まれた脱俗の奇人というイメージがもたれているようで、かつ晩年のあの風貌が仙人っぽさを余計に醸し出していました。
私はそういう草森紳一理解は非常に一面的ではないかと思っています。その根拠になりそうなフレーズが「本が崩れる」の中にもあり、たとえば、
「世間」とやらに背を向けて生きてきたので(実際は甘えて、曖昧を極めながら生きてきたので)(p.17)
お前は、豚か(豚に悪いが)と思う。そうだ、豚だと自分で答える。お前はマンガか(マンガは大好きだが)と問えば、そうだ、マンガだというこだまが、かえってくる。お前はゴミか、もちろんと答える。お前は、人間のクズか。もとより大クズだ。これは、胸を張って、言い切れる。 (p.29)
私は、なぜ草森さんがこういうことを書くのか、よく知っています。草森さんが亡くなってから出てきた話の中に、その「クズ」っぷりがよく知れるものがあり、たぶんそのあたりのことを言っているのだろうという察しはだいたいついています。
ただ、自分は「豚」だの「人間の屑」だのと本当に思っている人が、読者に先回りして、先手を打ってこんなことを書くわけがないだろう、とは思います。かっこ付きで「本当は世間に甘えて、曖昧に生きているのは分かってるんですよ」とアピールする必要性が分からない。あまりにも言い訳がましくて、見苦しい。
一言で言えば、こずるいし、セコい、としか言いようがない。
草森紳一のこのセコさは、文章や生活と密接につながっているはずで、一見「脱俗の仙人」のようなポーズは、実際のところは単にそっくり返って開き直っているだけの度し難さと表裏一体だったのではないかと私は思っています。
・・・
では私は草森紳一が人間として嫌いかというと、幸か不幸か、嫌いになるほどの付き合いはありませんでした。
ただ、私にとっては妙な会話ができる存在で、
「荘子はいいよ。あれを読むと、心がすっきりするでしょ」
という言葉が草森さんの口から出てくるのを聞いて面白がっていました。
脱俗を装った度し難い開き直りも、私には分かるような部分もあり、かつ、あれで結構、本人なりの限界まで俗世間に頑張って付き合ってもくれたことを私は知っています。間違いなく仕事の邪魔になったはずで、死去の報が流れたときには、随分迷惑をかけてしまった、本当はもっと書きたいものがあったろうにと、申し訳ない気分になって落ち込んだことを覚えています。
思い返すと、草森紳一には、表向きのポーズの、もう一段奥があって、そこはもっと男らしい人だったような気がしています。なので、なんであんな料簡の狭いことを書くのか、私にはよく分かりません。
『そんなセコいことを書かずに、もっと素直に自分を出せばよかったんじゃないの。ねぇ、草森さん』
今の私だったら、草森さんにそう言ってみたいです。
・・・
現在、草森紳一の何万冊とも知れない蔵書が保管されているそうです。「時間は魔法だよ」と言っていた草森さんが、本当にそんなことを望んだのかどうか、正直言って疑問です。
よほどの稀覯本はしかるべき研究者や施設へ寄贈、他は古本屋にすべて売り払うなど処分して、きれいさっぱりしてしまうという道の方が、よっぽど草森さんらしい、少なくとも私にとっての草森さんらしい道のように思います。
私にとっての草森さんはそういう人だったのですが、そのような理解が世間ではなされてなさそうであることが、大いに口惜しいですね。
それも、草森さんなら、「死んだ者が強いんだよ、死んだら勝ちだよ」と高笑いして、生きている者のことなぞ、断然無視することでしょう。「時間は魔法」ですから、何百年もたてば今生きている者の些細な出来事など、きれいさっぱり流されてなくなってしまいます。
もっとも、そういう態度は、普通だったら無責任の極みなのですが、草森紳一に限っては無責任だと言い切れないものがあって、そこに慕わしく感じさせる何かがあったのでしょう。
私にとって、草森紳一とはそういう人でした。
私がイタリアに興味を持ったきっかけの一つは、シルヴィオ・ベルルスコーニです。
2001年ごろだったか、たぶんThe Economist に出たベルルスコーニ批判のうちのどれかを読んだように思います。ただ、当時イタリアに全く無関心だった私は、「まあ、イタリア人はいい加減だから」で終わってしまいました。
初めてイタリアを一人で旅行した大学生の時、イタリアに対する印象が良くなくて、「こんな国に二度と来るものか」と思っていたのです。。。実際は、一生の縁になってしまうわけですが。
その後、紆余曲折あってイタリアと関わるようになり、「これだけ批判されているベルルスコーニが、なぜ何度も政権をとり、20年もイタリア政界を牛耳ってきたのだろう」という素朴な疑問をずっと抱えていました。
イタリア語で新聞や書籍を読むようになって、分からないながら、ベルルスコーニを理解するための背景を求めていきました。彼を理解するには、少なくともファシズム時代までさかのぼる必要があるように思います。
・・・
村上信一郎先生の「ベルルスコーニの時代」は、1948年生まれの著者から見た同時代史としてイタリアを描いたものです。サピエンツァ大学でアルド・モーロの講義を聞いたことがある著者の記述は、読みやすいうえに生き生きとしており、生のイタリアを直接感じ取れるようになっています。
とりわけ日本では、イタリアの戦後史を一般向けに説明した書籍は得難く、的確・コンパクトに、かつアカデミックな成果にこだわらず幅広く情報を入れ込んだ新書として、優れているように思います。
それだけに非常に濃密で、それが長所でもあり、あるいは短所かもしれません。日本の読者は、イタリア現代史に全く無縁な人が多いはずなのに、前提知識が相当に求められるからです。
ただそれでも、少なくとも私にとっては非常に勉強になり、頭の整理にもなりました。
・・・
ただ、こういうところも聞いてみたかったという点がいくつかあり、たとえばプローディ内閣の崩壊からダレーマ内閣の成立の背景についてがその一つ。
1998年にプローディ内閣は議会から不信任を受け総辞職します。この背景に、当時切迫しつつあったセルビア情勢があったようです。NATO軍に全面的に協力することにやや距離を置いていたプローディよりも、米国と非常に融和的でイタリア共産党出身ゆえに平和主義者を抑え込みやすいと見込まれたダレーマを立てたのは、同じ年に中道右派勢力の共和国民主連合を結成した元大統領フランチェスコ・コッシーガの画策による、と言われており、このあたりはどうなるのか、個人的には興味津々です。
イタリア政治は国内環境にのみ規定されるのではなく、国際環境にも大きく左右されてきました。イタリアの面白さ、です。
・・・
もう一つは、ベルルスコーニの評価の問題で、マフィアとの癒着・脱税・国家の私物化などなどについて、著者は具体的事実をあげて手厳しく批判しています。
これ自体はもっともだと私も思いますが、ベルルスコーニの存在は何かもっと根深いものの表れではないかという印象を持っています。それは、イタリア半島に固有のなにかかもしれないとも思いますが、その点、あとがきで
この現象にはイタリアの歴史や政治の特殊性に還元できない普遍性がある
とする著者の直感とはやや異なります。
もちろん、ドナルド・トランプの登場(米国の大統領選挙の際に、イタリアのベルルスコーニと頻繁に比較されたことは記憶に新しい)、日本の政治状況などなどを見ても、むしろ著者の直感ももっともで、それは私も同感です。
それでも、ベルルスコーニが政界に登場したのは1994年、長期政権を担ったのは2001年からと、かなり以前のことであり、近年の政治状況とは文脈が異なります。そこになにかイタリア固有のもの、イタリア半島が背負っているものの重さを、私などは感じます。
たとえば、企業家としてのベルルスコーニの歩み、脱税やマフィアとの癒着、また政治家としては公権力の私物化等々といった、ベルルスコーニに向けられるイタリア人の批判そのものは、むしろイタリア人自身に返ってくることはないでしょうか。ベルルスコーニだけが責められるようには思いません。
・・・
本書では、イタリア戦後史を最初から語り起こしており、また各登場人物について出身地や背景を新書としては細かく描くことで、「なぜそうなのか」を説明しています。
これがイタリアの複雑さと面白さを伝えて余すところがありません。と同時にそれだけシルビオ・ベルルスコーニの存在がいかに巨大かを、一層感じます。
80歳を超えたベルルスコーニは矍鑠としていますが、年齢による衰えは隠しきれず、また自らが率いるフォルツァ・イタリアはかつての栄光は見る影もなく、今やほぼ弱小政党となってしまっています。
それでも、もう一勝負するのか、それとも終幕に向けてどのように動くのか。これからどういう展開になるのか、私には全く想像もつきません。
・・・
最後に、つい先日、私の知人であるイタリア議会の元議員秘書が、ベルルスコーニに面談した時の印象を話してくれたので、それを書いておきましょう。
面談するまで、ベルルスコーニに全く批判的だった彼は、面談した後に評価を完全に変えたんだそうです。
「脱税?OK。利益背反?分かりました。スキャンダル?ごもっとも。でも彼はいいこともした。たとえば。。。」
このあたりが、ベルルスコーニの秘密なんでしょう。私が、ベルルスコーニはイタリアの何事かを象徴していると感じることと通じるものがあるように思います。
毎年2回、城北公民館でオペラ鑑賞講座を行っています。今年も例年通り実施する予定で、もちろん毎回、事前にある程度の準備をします。私にとっては貴重な勉強の機会です。
今も、次回講座のために勉強中なのですが、改めて、オペラの歌詞や言葉と音が密接に関わり合っていることを痛感しています。
ヴェルディやプッチーニ、モーツァルトなど、傑作を残した作曲家たちは、一語一語にこだわって作曲しており、彼らは台本作家に厳しい注文を次々とつけています。作曲家のイメージにふさわしい言葉がないと、音楽が付けられないからです。ヴェルディに至ってはほとんど自分で台本も書いていると言われるくらいのこだわりを見せています。
この言葉と音楽の関係を本当に理解しないと、演奏することは到底無理なのですが、しばしばそれも怪しい場合があります。
まして聴く方は、とてもそこまで考えて演奏を聴くことはまずありません。そもそも、私たち日本人にとって、外来文化であるオペラは、言葉が大きな障害です。
しかし、少しでも言葉と音の関係が分かると、作品への理解が深まり、感動も一入です。オペラ鑑賞講座で、わずかでもそういう聴き方をするためのヒントを皆さんと共有できればと考えています。
・・・
そうは言っても、外国語の壁は分厚く、日本人には到底無理だ、無縁の代物だ、と思われるのも当然です。私も難しいと思います。
ところが、ここに一つ、日本にも面白いものがあります。文楽の義太夫節です。
私は大学生のころ、義太夫節が大好きで、よく大阪の国立文楽劇場に通ったもので、2回書いたうちの1回目の卒業論文は「寺子屋」の分析でした。
義太夫節も、言葉に徹底的にこだわり、言葉と音楽が密着しています。
その徹底ぶりのために、いろんな逸話や伝説めいた話が残されています。
義太夫節では太棹という低音が出せる三味線を使います。ある太棹の名人は、どうしても女心の寂しさをうまく表すことができず、途方に暮れていたそうです。ある時、旅興行の宿屋で横になっていると、しんと静まり返る夜の暗闇の中で、井戸に水滴が落ちる音がした。そのゾッとするような音色に、これだ、と閃いたそうです。つまり、太棹の音で人間心理の綾を表すことができる、というわけです。と同時に、語り手の太夫はそれに負けないように声ですべてを表現しなければならず、その修練苦労たるや並大抵のものではありません。
今の人形浄瑠璃文楽が義太夫節の栄光ある歴史、血反吐をはいてきた先人たちの努力に値するものかどうか、文楽劇場通いをやめて随分立つ私にはよく分かりませんが、一つだけ言えることは、オペラと違って、義太夫節は日本語で、特に近畿圏に住む私たちにとってはなじみの深い上方言葉で構成された芸だ、ということです。
義太夫節は、いくつかの例外を除いてはいつの時代も客入りがあまり良くありませんでしたが、それでも私たちにとってなじみの深い芸でした。
そのなじみ深さを取り戻すことはもうかなわないでしょうが、しかしオペラと同じように、音と言葉の深いつながりを感じさせるものが日本にある、あったのであって、少なくともその一点においては、私たちはオペラをそう難しく考える必要はないのだろう、と思っています。
つまり、義太夫節を持っている日本人に、オペラが分からないわけがないのです。
・・・
城北公民館で行われる次回のオペラ鑑賞講座は5月31日金曜日、13時半からを予定しています。詳細はおってお知らせします。
オペラを知らない人も、よくご存じの人も、是非お気軽にお越しください。受講者の皆さんと一緒に楽しみたいと思います。
塾で教えていると、そもそも勉強の仕方がよく分かっていない子供とたくさん出会います。そこで、ご家庭でもできることなので、基本的な方法を書いてみます。
1 分からないところ・覚えていないところを見つける
算数ならば、問題集の「まとめ」のページなどを使って、分かっていない部分を最初に見つけます。漢字や英単語、社会などの暗記を要する科目でも同じで、覚えていないところにチェックを入れます。
2 分からないところは反復練習
勉強は、スポーツや楽器の練習と同じです。できるようになるまで反復すること、量をこなすことが大事です。
というのも、「分かった」「理解した」だけではその場限りのことになりやすく、身につかないからです。だから量を伴った反復練習が必要なのです。
3 覚えていないところは覚えるまで徹底的に暗記
覚えていないところは覚えるまで徹底的に暗記します。
ただ、そもそも「暗記する」とはどういう状態のことかがそもそも分かってない場合があります。「暗記する」というのは、何も見なくてもスラスラと覚えたことが出てくる状態のことを「暗記」と言います。
方法はいろいろあります。覚える部分を赤ペンで書いたノートを自分で作って、赤い下敷きでかくして覚えたり、緑のマーカーを使ったり。単語の場合は、市販の単語帳を使うことが多いと思いますが、覚えていない単語は覚えるまで何度でもチェックをいれます。
つまり、ここでも大事なことは「反復」です。
4 手書きを大事にする
算数・数学ならば、計算式や計算過程をちゃんと書くようにする。漢字や単語は綴りをちゃんと書く。
手書きによって体に覚えこませることが大事です。
以上、勉強の方法です。シンプル過ぎるように思われるかもしれませんが、私もいろいろ試してみましたが、急がば回れ、王道が一番だというのが私の結論です。お子様の家庭学習の参考になさってください。
うれしいニュースが入ってきました。
小学校2年生から1年間、英語を勉強して、今は3年生になる男の子が、英検5級に見事、一回で合格しました。
特に変わった学習法はとっていません。毎日真面目に英単語やフレーズを、読んで書いて覚えることを徹底しただけで、なによりそれを本人が英語を面白がって進んで実行してくれたことが結果につながりました。
教える側にできることは本当にわずかで、結局は教えられる側の頑張りにすべてかかっています。
その点、この男の子は日々の学習で常に頑張りを見せていました。
当人もうれしいことと思いますが、教えている私も同じようにうれしいです。
これを励みに、次は4級を目指します。
(東海)
中学生高校生に英語を教えていて必ず問う質問があります。
「家に英和辞典ある?」
「辞書使ってる?」
彼らの返答から推すと、辞書がないご家庭は少ないようではあります。(もしも家にない場合は、「ブックオフで安いのがなんぼでもあるから買ってもらい」と言います)
しかし、実際に辞書を引かせてみると非常に手つきがたどたどしいのですから、ほぼ使われてないのも間違いないところでしょう。(電子辞書に慣れている、という場合はともかく)
これは本当におかしなことです。英語を勉強する子供たちの大きな問題の一つは、単語力が欠如していることですが、辞書を使わないで単語力を補うことは全く望めません。そもそも辞書なしに外国語の勉強をすることは不可能です。
教科書や問題集の後ろについている「単語集」のようなものでごまかしてしまう子供もいますが、細かい説明も用例も書いていない単語集では、何の意味もありません。
そこで、授業の際にはいつも子供たちには自分で辞書を引かせるようにしています。そして、辞書の使い方を教えます。辞書を使うことが外国語の勉強には必要でありますし、また他のどんなことでも辞典類を利用することは必須だからです。
日本の中型英和辞典は非常によくできています。たとえばイタリア語で英語を勉強しようとしても、日本の英和辞典のようなものはイタリアにはまずないのではないでしょうか。というのも、日本の中型辞典は、収録単語数はもちろん、用例や図録が非常に豊富であるのみならず、熟語も丹念に収録されています。こんなに便利なものが、どこの書店でも手に入れることができるのですから、日本人は大変に幸福だと言わなければなりません。
ただし、中型辞典は高校生には使えても、中学生にはまだ難しすぎます。学校で勉強する内容に比べて、辞書の記述が細かすぎるからです。
そこで、中学生にはより簡便な学習辞典の利用をおすすめします。中学校レベルの内容を、見やすい表示で的確にまとめてくれていて、私も中学生に英語を教えるときはとても重宝しています。
中型辞典にしろ学習辞典にしろ、こんな便利な道具を使わないという手はないのです。
そこで申し上げたいのは、子供たちが家庭学習を行うときには、必ず辞書を使わせて下さいということです。当たり前のことに聞こえるかもしれませんが、その当たり前が出来ていないのだから仕方ありません。(もちろん、大人だって英語の勉強をする時も、面倒くさがらずにこまめに辞書を引かないといけません)
辞書を使い続けるだけで、学校の成績は容易に1ランク・2ランク上がるのではないかと思います。
このたび正式に開設したLLI 英語塾では、長文読解ができるように、ということを旗印に掲げています。
というのも、単語の意味から適当に類推して日本語の意味を考える生徒があまりにも多いからです。これは中高生のみならず、翻訳学校に通おうか、という人でも最初はそういう人が少なくないらしいので、かなり重大な問題ではないでしょうか。
つまり、主語と動詞の関係、関係代名詞の先行詞はどれか、また関係節はどこからどこまでか、前置詞句はどこにかかっているか、代名詞がさしているのはなにか、などなど、フレーズの構造を把握して読むことができていない子が本当に多い。
「そんなの、実際の英会話には役に立たない」
とおっしゃる方がおられるかもしれません。ま、たしかに、友達と世間話をする程度であれば、別に細かいことを言わずとも、だいたいが分かればそれでよいのです。十分すぎます。
しかし、そこから一歩突っ込んだ話をしようとする、あるいはちょっと難しいものを読もうとすると、とてもそんなわけにはいかなくなります。
学校英語は役に立たない、文法の学習は無駄だ、といった類の批判をよく見ますが、英語のほかにドイツ語・イタリア語・ラテン語を勉強した私からすると、それは大きな誤解ではないかと思います。
少なくとも、私は学校英語を利用してきましたし、他の言語を勉強する際に学校英文法の知識は大きな土台となってくれました。
もっとも、それだけでは語学学習のためには不足ですが、しかし役に立たない、あるいは無駄というのは、いささか理解の欠けた意見ではないかと思います。
もちろん、生徒たちの学校の成績や受験の際に学校英語が重要となることは、言うまでもありません。
ひとり、私が大変に驚いた大学受験生がいました。彼は英語がとても苦手な浪人生で、夏の段階で「超初級」レベルの問題にてこずっており、私はこれは大変だなと思っていました。
そこで、容易な文章であっても、きちんと読む方法を教え、それを徹底してもらいました。浪人生でお尻に火がついている彼も頑張って勉強してどんどんのび始め、センター試験が終わるころには
「もうだいたい過去問はやっちゃんたんですけど」
と言いながら、関関同立レベルの問題集をもってきて、頑張って解いていました。
この様子を見て、私は驚くやらあきれるやら、彼の頑張りに本当に降参した気になりました。
彼は最後まで、私が教えた読解法に従って読んでいました。本人もそれなりに分かるようになっているという実感があったから続いたのだと思います。その点、私は少しばかり誇ってよいのでしょう。
しかし、大事なことは本人の努力であって、私はそこに少し手を差し伸べただけです。
私のイタリア語の先生はいつも「最後は結局学生次第だ、先生のできることなんかそんなにない」と言っていましたが、なるほどその通りだなと改めて感じました。
学校英語や受験英語は、それだけ見ればつまらないものです。よくできる生徒には「とっととこんなのは済まして、自分の好きなものを読めるようになりなさいよ」とけしかけたものです。
しかし、ごく普通の生徒でも、外国語の文章を、辞書を引きながらしっかり読むという経験は、それからの人生に必ず資する、得難い経験であると私は信じています。なにをやるにしても結局やることは同じで、一つ一つ着実に片づけていく以外にないからです。外国語の勉強が教えてくれるのはそれです。
LLI英語塾では、このようにして、生徒一人一人に向き合います。
Laboratorio Linguistico Italiano
代表 東海岳史
〒670-0871
兵庫県姫路市北条口3丁目51 LACビル2F
TEL 090-3704-7330
Mail t-tokai?takinstitute.com
(?を@にかえる)
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